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御家騒動を学ぶ意義を考える

本日のテーマは、『御家騒動を学ぶ意義を考える』です。


日本史は御家騒動の歴史

今年のお正月のお年賀で嫁の実家に立ち寄った際、2005年に亡くなった義父の本棚から、百瀬明治『御家騒動-江戸の権力抗争』(講談社現代新書1993年)を借りてきて読みました。思いの他面白くて興味深いものでした。昨日、上杉鷹山の名言を取り上げたのも本書がきっかけです。

副題に江戸の権力抗争とありますが、第一部(P8~55)では、神話時代から院政まで(2)、院政(3)、摂関家(4)、ムサノ世(5)、南北朝(6)、宗教会(7)、関ヶ原(8)にも触れられていて、日本史が連綿と続く御家騒動=権力争いの歴史であることがよくわかります。

江戸時代の御家騒動 三区分

一般的に『御家騒動』ということばから連想されるのは、江戸時代の将軍家や藩を支配する大名家で起こった内紛でしょう。

本書によれば、勧善懲悪的なテンプレートに当て嵌めて『御家騒動』を理解しようとする態度には無理があり、

① 徳川家支配体制が全国に行き渡るまでの過渡期で、戦乱から泰平の世への移行期でもあった江戸時代前期
② 徳川幕府を頂点とする幕藩体制という枠組がきっちりと出来上がって以降、米経済から商品・貨幣経済へ移行していく江戸時代後期
③ 幕藩体制の行き詰まり、幕府支配の弱体が顕著となった幕末期

それぞれの時代背景を踏まえて、内紛が起こった源流と歴史的意義を理解することが重要だとしています。

御家騒動が起こる根幹には、主君よりも家が重要という価値観があります。御家の存続・正統性の維持こそが重大であり、その地位にある主君は絶対的存在ではなく、御家存続にとって不適当であれば幕府の権威を得て、主君を挿げ替えることができる仕組みが、体制内に埋め込まれていたことを理解しておく必要があります。

御家騒動の結末

第二部では、鍋島騒動、伊達騒動、越後騒動、加賀騒動、七家騒動/主君押込(米沢藩)、お由羅騒動(薩摩藩)に加えて、13代将軍家定の後継を巡る、紀州藩・徳川慶福(14代将軍・家茂)と一橋家慶喜(15代将軍・慶喜)の争いから、大老・井伊直弼による安政の大獄に発展した安政の将軍継嗣問題が取り上げられています。御家騒動によって、歴史が動いてきたことがよくわかります。

御家騒動は権力闘争ゆえ、「勝てば官軍」の史実になりがちです。本書では政治抗争に敗れた側の人物にも配慮されています。
● 有能ゆえに軽輩の身分から取り立てられて重職につき、実績も残した改革派の人材が、守旧派の重鎮の抵抗で排除・失脚させられるケース、
● 権力を得た実力者が、主君に敵対する勢力を巻き込んでクーデター的に藩政を握るケース、
などパターンは様々です。

他家から米沢藩の養子に入った上杉鷹山は、権力闘争に勝利して、反対派をパージすることができたからこそ、辣腕を奮うことができ、後に名君の称号を獲得に至っています。不遇の時代があり、最初から権力基盤が盤石ではなかったことは見落とされるべきではありません。

御家騒動は、ほぼ100%人間関係が発端になっています。本流から軽んじられ、疎んじられた一門衆の積年の恨みや、主君に依怙贔屓された人物への嫉妬心が内紛の発端になっているケースが少なくありません。同じような事象は現代のあらゆる組織に見られます。

御家騒動の記録から学べることは、色々とあります。

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