見出し画像

『絶望の国の幸福な若者たち』を再読する

ベストセラーを再読

古市憲寿『絶望の国の若者たち』(2015年文庫版)を再読しました。428ページと結構ボリュームはありますが、面白いので、ポストイットを貼りながら3時間位で読めました。本書のオリジナルが発売された2011年頃の時代の雰囲気も思い出しました。読書感想文を残します。

本書の構成は以下の通りです。

第1章 「若者」の誕生と終焉
第2章 ムラムラする若者たち
第3章 崩壊する「日本」?
第4章 「日本」のために立ち上がる若者たち
第5章 東日本大震災と「想定内」の若者たち
第6章 絶望の国の幸福な若者たち
補章 佐藤健(22 埼玉県)との対話 ⇐ おススメ!

著者の社会学者・古市憲寿さんは本書で有名になり、最近ではテレビのコメンテーターでもユニークなコメントが人気となり、活躍されています。一番面白いと感じた、本のタイトルでもある第6章だけ読んでも面白いですが、前段の第1~5章をきちんと読んだ方がより楽しめると思います。

また、本文の注釈が巻末ではなくその頁の下部にあるので、都度参照するのに便利です。オリジナル版に加えて、文庫化にあたって追記された後追いの注釈(★マーク)もあるので楽しめます。

絶望の国の幸福なオッサン

古市氏の実感でもあり、本書の根幹を貫く主張は、

2011年を生きる若者は、過去の若者と比べても「幸せ」だと思う。(P13)

だろうと思います。

その後10年が経過して、世界における日本の地位の凋落、周回遅れ感、経済的な地盤沈下、といった負の傾向がより鮮明・顕著になってしまった気がするものの、今もある程度有効な感覚ではないかと思います。

今の10代に「日本全体の経済成長が続いていた1980年代の若者になりたいか?」と聞いても、答えは「No!」でしょう。当時の空気感や当時のテクノロジー環境が想像できないが故に、1980年代の明るい面だけにフォーカスして、共感を持つ人もいるかもしれませんが……

私が過ごしてきた1980年代~1990年代は、学校は画一的な管理教育が全盛で体罰は事実上容認、高学歴を求める競争はそこそこ激しく、会社員が週60時間以上サービス残業付きで働くことなんて当たり前でした。数の多い世代なので、社会から「マス」として雑に扱われるのが当たり前でした。私はそんな環境を「常識」と受け止めて、何とか適応しながら生き抜いてきたなれの果てです。

そこそこ楽しい思い出に包まれてはいますが、今からあの時代に戻って人生をやり直したいとは思いません。現代の便利さと快適さは圧倒的です。何とか生き抜いてこれた今の私は「絶望の国の幸福なオッサン」です。

「若者論は不要」に同意

本書の古市氏の主張の一つに、

若者論は不要

というのがあります。

本書は、『そもそも「若者」って何だ?』という問題提起からスタートしています。そもそも「若者」ってふわっとした言葉です。第1章の若者論の歴史の解説の中で、「若者」ではなく、「青年」という言葉の方がメインに使われていた時代があった、とあります。これはうっすら覚えています。

「青年論」にせよ「若者論」にせよ、そこには決して実在しない理想の「若者」が仕立てられていて、インチキ臭い手法で大人の望む方向に誘導する意図が感じられます。

「大人」が、得体の知れない存在を矮小化して理解する為、無理矢理『若者』と言語化した感があり、年齢的には「大人」側に属する私でも、今時々目にする若者論的論説には気恥ずかしさを感じます。

また、「若者論」の欺瞞を嗅ぎ取れる感度の高い「若者」世代が、今度は冴えなく映る「大人」世代を小バカにしている姿もよく目にします。プロレス興行的やり取りに止まっていりだけならいいのですが、中には世代間のガチバトルになっているものもあって、目にすると少々キツイです。

沈みゆく国に共存する者達同士、この国の危機感を共有して、一緒に生存戦略を考えながら、協力して楽しく生きていきたいものです。最後は、牧歌的なコメントですみません。

最終補章に収められている、俳優・佐藤健さんとの対談記事はおススメ! 当代屈指の人気俳優は、頭が非常に涼しい人!という印象を残します。


この記事が参加している募集

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。