見出し画像

休耕する意味~『君たちの生きる社会』より

本日無事に51歳と212日目、無職32日目を迎えることが出来ました。感謝!

先日、神保町の古書街を散策していて手に入れた、伊藤光晴『君たちの生きる社会』(ちくま文庫)という本が非常に面白いです。1970年代に出た古いものですが色々と発見があります。

その本の中で、”日本の社会を考えるー欧米とのちがいのなかで”という章の「1. 風土のちがい、考え方のちがい」で紹介されている、日本の農業とヨーロッパの農業の違いを読んで思ったことを残します。

三年周期で土地を肥やすヨーロッパの農業

雨が少ないヨーロッパでは、日本では常識である雑草との戦いに費やす労力がかなり少なく、三年に一度、深く掘り返して雑草の根を土に埋め、休耕することで対処しているという話が書かれていました。

● 休耕した翌年は、小麦を栽培する。その年は雑草がほとんど生えない。
● 次の年は、牧草をまいて牛を放し飼いにする。
● その次の年はまた深く耕して、牧草や雑草や牛のふんを土中に返す。これらが土中で腐って肥料になり、良質の小麦が育つ豊かな土壌になる。

「①小麦栽培⇒②牧場⇒③休耕」を1サイクルとして、三年毎に繰り返していくということのようです。「休耕することで土地の地力が増す」という考え方を採用しているのです。現代の混合農業につながる、三圃式農業(three field system)と呼ばれる農法です。

大量の除草剤で永久に酷使させられる日本の農地

一方、高温多湿で雨が多い夏を迎える日本の農業は雑草との戦いです。日本の農家は、この毎年の雑草取りの苦労から免れるために大量の除草薬を散布し、堆肥の代わりに大量の農薬を使用します。農薬に含まれている成分が、じわじわと土地の地力・耐性を蝕み、だんだん土地が痩せていってしまう、という趣旨の内容が書かれています。

毎年休ませずに作物を植えて搾り取るだけ搾り取ることを繰り返しているので、土地の地力がじわじわ奪われている、と伊東氏は考察されています。

休耕することで地力が増すのは人間も同じ?

「休耕することで土地の地力を増す」というこのヨーロッパの農業の考え方は、私には非常に興味深いものでした。

会社員の人生にあてはめれば、「(明確な目的をもって)休養すると自分の地力が増す」とは言えないでしょうか? 雑草取りや農薬撒きのような仕事に忙殺されがちな日本の会社員こそ、定期的に休んで地力を蓄えていかないと、いい仕事はできないように思うのです。

日本では、一度社会に出たら年老いて肉体的に働けなくなるまでずっと継続して働き続けるのが当然であると考えられています。日本国憲法にも勤労は国民の義務と定められています。仕事をしないと生活していけないという固定観念から、肉体や精神が不安定な状態でふらふらの状態になりながら、無理して働き続ける人も多い印象があります。休むことは悪、という脅迫観念が刷り込まれているのです。私もそうでした。

日本式農業で酷使される土地と似ています。肉体や精神の不調を、健康ドリンクや、職場の仲間との酒席や、ムラ的なコミュニティ意識でごまかしながら働き続けることで、消耗し、疲弊し続ける姿とかぶってしまいます。

自己防衛と言われてもいい

働けるにもかかわらず自分のわがままで会社員を辞め、毎日エンジョイしている現在の私は、社会人の責任や義務から逃げている怠け者なんじゃないかという罪悪感があります。休みなく働き続けることを強要されるのが当たり前の社会で、自主的に長期休暇を取るのは勇気がいる行為です。

しかし、地力を高めるために、何年か毎に休息を入れていく、というのは悪くない生き方の知恵だと私は思います。集中的に働いた後は、定期的に長期の休みを取って、次への鋭気を養う、というサイクルを回しながら生きていくことは一考に値する生き方だと本気で思っています。

この記事が参加している募集

#推薦図書

42,692件

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。