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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読む

本日は、三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書2024)の読書感想文です。

半身社会のススメ

本書はベストセラーになっている一冊で、タイトルも気になっていたので購入し、松本へ帰る電車とバスの中で読了しました。

乱暴に纏めると、「働きながら、本を読める社会をつくろう。仕事や家庭など何か一つに全身全霊を傾けるのではなく、バランスをとる半身社会でやっていこう。」というのが、著者である三宅氏の(自身の経験も踏まえての)主張になるかと思います。その主張に到達するまでに、日本の読書についての歴史とその時代背景(価値観の変遷)が丹念に分析されており、読み応えのある内容になっています。参考図書からの引用が豊富に用いられており、主張に肉付けがされています。

また、坂元裕二原作・脚本、土井裕康監督で、菅田将暉と有村架純が主人公の麦と絹を演じた映画『花束みたいな恋をした』(2021)のシーンを、世相を反映する例として、度々登場させ、読み進め易い構成になっていました。

知識と情報

1980年代以降の変遷については、私にも既視感があり、ベストセラーになった本の記憶や空気感はうっすらと覚えており、私自身の認識を確認する作業としても面白かったです。

私は、社会人になってから主に通勤電車の中とまとまった連休期間中に読書時間を確保していました。自由に使えるお金が増えたこともあって、結婚するまでは、学生時代よりもむしろ本を読んでいたクチです。ただ、当時はスマホがなかったから、という条件付きの話です。

三宅氏の"読書とはノイズである"という考えはユニークです。特に2000年代以降は、知識を得る為ではなく、情報を得る目的の読書にシフトしてきているとします。自分の望んでいない、関係のない情報(ノイズ)を嫌う傾向が強まってきていると考え、

①読書ーノイズ込みの知を得る
②情報ーノイズ抜きの知を得る

P223

と整理しています。更に膨らませられるのではないかと思う所もあるものの、面白いアイデアだと感じました。

「働く」について

三宅氏は、会社勤務の経験が3年半ということなので、おそらく管理職や経営者的な仕事の経験はないのだろう、と推測します。

そういった地位に就く人は、たとえ本人が強く望んでいなくても、「全身全霊」で業務に向き合うことを期待されてしまうのが、ビジネスの世界に身を置くことの宿命ではないか、という気もします。(離脱する自由は当然あります)組織で責任ある地位を占める人、組織の人々の命運を託された人が、果たして「半身で生きる」という姿勢が許されるのか、という疑問はあります。殆どのビジネスは世界レベルで競争しているので、日本の労働環境だけの問題では済まないと思うからです。実際、世界で優秀とされる企業の社員は、猛烈に、馬車馬のように働いているイメージがあります。仮にその会社は優雅に見えても、その陰で報われない人々が、ハードワークの皺寄せを背負っています。そういう企業との競争に負けてきたから、今の日本経済の衰退の事実があるような気もしています。「貧すれば鈍する」は真実だと思いますし....

日本では、ホワイト職場が増えているのは間違いないでしょう。長い目で見た時、どうなのかな.... 所詮は仕事だとは思うものの、私も安易に結論は出せません。

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