『男道』を読む(野球人・清原和博を考える)
本日の読書感想文は、清原和博『男道』です。
野球人・清原和博の歩みを綴った書
本書は、清原和博氏がプロ野球選手を引退した2008年シーズン後の2009年に発売されたものです。おそらく清原氏自身が自ら書いたものではなく、話した内容をライターが仕上げたものでしょう。
清原氏は小学3年生の時(1976年 9歳)に地元の岸和田リトルリーグで野球を始め、プロ23年目の2008年 41歳でプロ野球選手を現役引退しています。本書は、幼少期の思い出から、プロ最後の瞬間までの栄光と挫折の両方を味わった自身の野球人生を綴ったものになっています。
印象的だったのは、
☑ 野球人生の歯車を狂わせたドラフトと巨人時代
☑ 永遠のライバル・盟友の桑田真澄氏への思い
☑ 打撃・ホームランへのこだわり
が、私が想像していた以上に本人にとって強烈なんだなということでした。
清原氏の31年間の野球人生は、栄光に包まれたキャリア前半(高校~西武時代)と苦難と挫折と怪我に苦しんだキャリア後半(巨人~オリックス時代)にわけられるように思います。
PL学園時代の盟友で、終生のライバルである桑田真澄氏への記述が非常に多いのも特徴です。お互いキャラクターの違い、性格の違い、を認めつつも、同じ環境を共有した唯一無二の仲間同士でしか共鳴できないものがありそうです。ただ、大筋で大きく逸脱はしていないのだろうと思うものの、あまりにも世間が期待する内容に整えられ、膨らまされ過ぎているという印象も本書からは受けました。
PL学園時代の清原が最高?
PL学園時代の清原が最高だった!
という人がいます。打撃の職人、落合博満氏も高校時代の清原氏の打撃技術を絶賛していました。私も、この意見に深く頷く一人です。その後の波乱万丈を知った後でも、私の中での清原和博は、夏の甲子園で最高に輝いていたヒーローのままです。
キャリア前半の清原氏は、まさに「怪物」の名に恥じない活躍を続けました。栄光に包まれたスターの表街道を驀進し、常にスポットライトを浴び続ける存在でした。一年生の夏から名門・PL学園高校の不動の四番打者として5季連続で甲子園に出場して2度優勝。個人最多の甲子園通算13本のホームランを放っています。1985年夏の大会の準々決勝、高知商業戦で剛腕・中山裕章投手から左翼に放った特大のホームラン、決勝戦の宇部商業戦での二打席連続ホームランのイメージは強烈です。記録にも記憶にも残る選手でした。
清原氏の野球人生の運命を狂わせたのは1985年のドラフトでした。それでも夢だった巨人入団は叶わなかったものの、西武入団1年目の1986年には打率.305、本塁打31本の記録を残し、パ・リーグ新人王を獲得しています。高卒ルーキ―では異例の四番に抜擢されています。プロでも周囲の期待を裏切らない順調なスタートを切った訳です。
清原氏の全盛時代を知る人は、その後の彼のやプロ野球人生で打撃タイトルと無縁、生涯本塁打数525本で現役を終えるとは思っていなかった筈です。2000本安打も達成しており、一流のバットマンには違いないのですが、清原選手ならもっともっとスゴイ選手になって、途轍もない記録を残すものと期待されていました。持っていた資質や背負っていた周囲の期待からすると、記録的に一抹の物足りなさがあるのは事実でしょう。
巨人にFA移籍した1997年以降は、不遇な部分も多かったように思います。活躍は単発気味で、やや印象が薄いです。チャンスでの無類の強さや、野茂英雄、伊良部秀輝、桑田真澄など球界を代表する投手との真剣勝負などでプロ野球を盛り上げる存在だったことは確かですが、大きすぎる周囲の期待の大きさと現実とのギャップが彼を苦しめ、人の道を外れさせる一因になったように思います。
なぜこの人はこんなに人気があるのか?
清原氏に関することで長年気になっていたことがありました。
なぜ、この人はこんなに人気があるんだろう?
という疑問です。各界で影響力のある一流の人物が清原氏を「特別な存在」と公言し、プライベートでも親密な関係を結んでいたと聞きます。一流の人同士でしか感じられない意思の疎通があったのかもしれません。自然に人を引き寄せてしまう魅力を持つ人なのでしょう。
清原氏は2016年2月に覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕され、懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決を受けました。リハビリ生活を続けながら、2019年頃から徐々に活動を再開し、メディアにも登場するようになりました。
清原氏が犯した罪で言えば、社会的に完全に抹殺されても不思議ではありません。それでも多くの著名人が同情的で彼に手を差し伸べ、完全復活を期待し、応援しています。条件抜きで応援したくなる人徳というか、存在自体が超越した存在なのかもしれません。
尚、本書の中で個人的に断トツで最高だったのは、プロローグです。巨人を解雇された清原氏をオリックス・バッファローズ監督(当時)の仰木彬氏が口説く場面です。多少の脚色はあるでしょうが、本当に素敵な場面です。私は泣いてしまいました。
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