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社会主義と共産主義の違い②

昨日のnoteで序章を書いた『社会主義と共産主義の違い』に関して、昨日から今日にかけての変化を書き残します。

定義 ~デジタル大辞泉より抜粋・引用

【社会主義(socialism)】
● 生産手段の社会的共有・管理によって平等な社会を実現しようとする思想・運動。
● マルクス主義で、資本主義から共産主義へと続く第一段階としての社会体制。各人は能力に応じて働き、働きに応じて分配を受けるとされる。

【共産主義(communism)】
● 財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を共有することによって貧富の差のない社会を実現しようとする思想・運動。
● マルクス主義で、プロレタリア革命によって実現される人類史の発展の最終段階としての社会体制。そこでは階級は消滅し、生産力が高度に発達して、各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けるとされる

『社会主義』も『共産主義』も、歴史上常に議論され続け、意味も変質し続けている生の『イデオロギー』です。このように簡潔な定義で片付けてしまっては、「分かったつもり」で終わってしまいそうです。

私たちの生活に影響を及ぼす経済と政治に関連することは伺えますし、現代の視点でのマルクス主義の理解が避けて通れないということも伺えます。色々物色する中で出会った以下のYouTubeは、作り手の主張も述べられていて、自分の立ち位置を確認するのに役立ちました。

私の関心をどこにあったのか‥

そもそも『社会主義と共産主義の違い』というテーマに取り組もうと思った背景には、私が、これまで社会主義や共産主義の思想を薄っぺらい理解のまま、ずっと遠ざけていたことがあります。

私は、共産主義の総本山だったソ連にゴルバチョフ書記長が登場し、ペレストロイカやグラスノスチといった社会や政治の刷新・改革の活動に取り組んだものの、体制が崩壊していく過程を10代後半から20代でオンタイムで経験した世代です。大学は法学部で国際法を専攻していて、国際政治や国際情勢には関心がありました。

その時の影響から、社会主義・共産主義国家は、個人の自由な主張や行動が制限され、腐敗と退廃の蔓延る権力が支配する暗澹たる社会と映りました。思想の強要、同調圧力、敵味方で二分し、体制打破の為には暴力を正当化する体質=社会主義(共産主義)というネガティブイメージが強くて、忌避したい対象でした。

私は基本的には、『みんなのために頑張る(”頑張る”ということばは嫌いですが、敢えて使います)人が正当に報われる社会』がいいと思っています。その為、剝き出しの資本主義と親和性があり、強い立場の者が弱い立場の者を巧妙に搾取することを容認する新自由主義的価値観も甘受してきました。

ただ、自由と競争とイノベーションが讃美され、個人主義が濃くなっていくように感じられ、格差の拡大は進み放題、他者の言動ややることへの寛容の気持ちがなく、代わりに殺伐とくさすことばを吐く、のを気持ち悪く感じるようになりました。「必死に頑張らないと生き抜けない」という緊張感を維持して日々過ごすことに息苦しさと徒労感があるのです。

● 「何をやっても勝てない人」の抱える絶望感と閉塞感を緩和する仕組み
● 人々が分断ではなく、ゆるく連帯する方向を促す仕組み
● 天が二物も、三物も与えかのような才能に恵まれた人が、その恩恵を独り占めにせず、公共の為に還元するインセンティブが働く仕組み

を社会に埋め込める可能性が、マルクスが整理した社会主義思想の中にないだろうか‥ 当時世界中の人々が熱狂した思想なんだから…

そんな動機だった気がするのです。

違いを知ってもあまり意味がないかも…

そう考えると、『社会主義と共産主義の違い』というテーマを深く掘り下げていくのは、私の本来の目的や動機からは、少々ずれていたような気がしてきました。なので、この題材をこれ以上掘り下げるのはおしまいにします。

一方で、マルクス主義や資本論、マルクス経済を齧り始めています。まだ、どこから言語化していいのか整理がつきません。小テーマを設定しながら、実践に繋がる学びをやっていこうと思います。


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