『14歳からの社会学』を読む

本日は、宮台真司『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』(ちくま文庫2013)の読書感想文です。実際には、まだ読了しておらず、一部をつまみ食い的に読んで抱いた感想を残しておきます。

14歳からの……

ある時期、『14歳からの……』というタイトルの書物が流行しました。当時、私も何冊か手に取ったことがあるのですが、14歳の読者層がターゲットなのだから、あまり根を詰めて読む本ではないのだろう、と油断していると、痛い目に遭いました。言葉遣いや表現こそ、極力平易に綴られようといているものの、内容を理解するのが難解なものも多く含まれていた気がします。難し目の理論や論述を極力端折って書かれていることによって、逆に前後の繋がりが薄くなって、唐突で突飛な結論ではないかと感じることも少なくなく、14歳の子たちがそのままエッセンスだけを汲み取ってしまったら、結構危険なんじゃないかな…… と危惧する本もありました。

本書の著者、宮台真司氏は、日本有数の知識人であり、影響力もある人物です。私は、氏の登場するYouTubeチャンネルを熱心に観ている視聴者です。しかしながら、氏の書かれた著書とは相性が良くないのか、私にとっては論旨を追うのが酷く辛く、難解と感じるものが多かった記憶があります。なので、『14歳からの……』というタイトルにも関わらず、かなり警戒して読み始めました。

宮台真司 vs 重松清 対談(2008)

本稿に入る前に読み始めたのが、ふたりの対談の項(P249~288)でした。小説家の重松清氏は、宮台氏とは世代も近く(宮台氏=1959年生まれ、重松氏=1963年生まれ)、出版社やフリーライターとして活動していた時代から面識があったようです。ここで語られている内容を頭に入れておいてから本書の内容に入ると、より深く本書が書かれた意義が理解できるような気がします。

宮台氏は社会学者なので、その時代の根底に巣食っていた空気を洞察して、的確なことばを充てるのが巧みです。この対談では、重松氏の放つ呼び水に対して、リラックスしつつ、縦横無尽に語っているように感じます。

重松氏は、ポストモダンとは一言でいうと「(笑)」であり、何かに対して本気であることから逃げたり、茶化したり、ずらしたりする態度が主流になっていったと分析しています。そして、『ブルセラ学者』として知られた1980~1990年代頃までの宮台氏にも、トリックスター(道化師)的な振る舞いも見えたが、1990年代後半以降、そういった態度を意識的に封印し、「本気」で勝負するようになっていった、という宮台評を述べています。

読んでおくべき書

本書が単行本で創刊された2009年と比較して、現代は宮台氏が嘆いた状況を遥かに突き抜け、最早修復不能な時代に突入しているのかもしれません。宮台氏のことばを借りれば、

社会の底が抜けている

ことによって、着々とある場所へと収斂されていっている気がします。私は何とか乗り切って50代まで到達したものの、これから先に起こる現実に対処できるか自信がありません。この先の落ち着く先の覚悟を決める為にも、本書は真面目に読んでおいた方がよいな、と感じた次第です。

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