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【バー小説③】Dance with me ~サイドカーの夜

《一》序章@東京

「今、東京? 今夜🍸飲まないか?」

男は、LINEアプリのアドレスをスクロールして女のアドレスを探し出し、短いメッセージを送った。前回のやり取りからもう半年の月日が経っていた。あの夜以降、男は女に一度もメッセージを送らなかったし、女から男にメッセージが送られてくることもなかった。

10分くらいして返信があった。意外と早かったな…… と男は思った。

「久しぶり!  いいわね^_^ 誘ってくれるなんて光栄だわ!」

顔文字で返してきた女の文面を見て、男は苦笑した。以前雑誌で読んだ「絵文字を使うのは圧倒的に中年の男が多い」という記事を思い出し、ちょっと後悔した。「俺もテクノロジー音痴の中年親父だしな……」とつぶやいた。

約束の時間とバーの住所を記した返信を送り返すと、大ぶりなスマートフォンを鞄に戻し、駅のホームに滑り込んでくる電車をぼんやり眺めていた。

《二》偶然の再会@パリ

おおよそ半年前、男は出張で立ち寄ったパリで、その女に「再会」した。

パリ市内のオフィスで面談した取引先の担当者だったその女は、高校時代の同級生だった。ふたりは三年間一度も同じクラスになったことはなく、直接会話をした経験も(男の覚えている限り)なかった。

ふたりは高校卒業後に同じ大学へと進み、引き続き同級生になったが、その大学時代にも交流はなかった。進んだ学部も違ったし、旧友とはとても言えない間柄だったが、男は女の名前と存在をはっきりと覚えていた。

「奇遇だなあ…… 何年振り? まあ初対面みたいなもんだけど」

「高校でも大学でも話したことないもんね。私のこと、よく覚えてたね」

女は高校時代から評判の美人の女生徒だった。大学でもその美貌は有名で、男が女の高校時代の同級生だと知った仲間の学生から、その女を紹介して欲しい、と頼まれたことは一度や二度ではなかった。卒業から十年以上経った今でも当時の面影をしっかりと残していた。

「大学は仏文科だったよね。パリ勤務は長いの?」

「もう4年になるわ。実は会社から帰国辞令が出ていて来月には東京に帰国するの。もうちょっとこっちの生活を楽しみたかったんだけどね。あなたは今東京にいるの?」

女は大学卒業後にフランス企業の日本法人に就職し、4年前にパリ本社へ逆出向の形でやってきたそうだ。憧れだったパリの生活を楽しんでいると言い、日本に帰るのが心底残念という口調だった。

「そう。明日のフライトで日本に帰る。帰ったら仕事が山積だろうなあ。ねえ、折角出張最後の夜なんで、パリのお奨めのレストランを教えて貰えるとありがたい。泊まるホテルはオペラ座の近くなんで、ホテルから歩いていける範囲で候補ある?」

「オペラ座の近くなら、カジュアルで気取らないけどしっかりとした料理を出す店があるわ。私のお気に入りなの」

「いいねえ。もしよかったら、今夜一緒にどうかな? 僕も”あいつ”もフランス語できないんだよ……  ”ボンソワール”くらいしか知らない(笑)」

”あいつ”とは、今回一緒に出張している後輩の青年のことだった。男は、1対1の誘いでないなら、女も仕事と割り切って付き合ってくれるのではないかと計算し、できるだけ自然に誘いのことばを切り出したのだ。

「お誘いありがとう。じゃあ、私の後任の子を入れて四人でどうかしら? 時間はどうする?」

女は、男が拍子抜けするくらいあっさりと承諾してくれた。男は背中に軽く緊張感が走るのを感じた。

「先にホテルへチェックインしたいから19時スタートでどうだろう?」

「OK。じゃあお店に予約入れておくわ」

女は、モバイルフォンを取り出して、店に電話を掛け、流暢なフランス語で四名分のディナーの予約を完了させた。店の場所は、後輩だという女性が地図をプリントアウトして渡してくれた。

「どうもありがとう。ではまた後で」

「念の為に、私の連絡先を。LINEでもいい? 遅れそうになったり、迷った時は連絡してくれればいいわ」

「OK。色々配慮してくれてありがとう。では後程」

男は、女が自分のモバイルの番号ではなく、LINEアドレスを教えたことを意外に思ったが、そのままオフィスを退出した。

《三》序章@パリ

男と後輩の青年、女と後輩の女性の四人で囲む食事会は盛況だった。女が予約してくれた店の料理は、どれもこれも美味で、食事も、ワインも、会話も、どんどん進んだ。

「花の都パリでこんな美人たちと食事できるなんて最高っす!」と上機嫌だった後輩青年は、しばらくすると時差ボケと旅の疲れから、酔いがまわり、かなり辛そうな様子になっていった。「素敵なお店で感激!」と言っていた後輩女性の方も、パリに来てまだ二週間ということで慣れない緊張感と疲れからか、次第に眠そうな表情になっていった。

男も、女も、かなり酒が強かった。手がけている仕事の話や昔の思い出話をしていく中で色んな接点が次々と見つかって会話は弾んだ。連れの二人が辛そうなので、9時過ぎにはお開きにし、男は飲み過ぎて辛そうな後輩青年をホテルへ連れ帰り、女は後輩女性を自宅へ送り届けることにした。

「今日は本当に楽しかったわ。まさか学生時代の同級生とパリで会うなんて想像もしてなかったわ」

別れ際、女が男に言った。男は一瞬迷ったが、思い切って切り出してみた。

「こちらこそ楽しかった。素敵なお店をありがとう。よかったら後でもう少し飲まないか? ちょっと行きたい所があるんだ。バーだけど……」

「バー? パリのバー知ってるの? あなた、お洒落ねえ……」

男にはこのパリでどうしても行きたいバーがあった。店の名は、『Harry's New York Bar』といった。初代オーナー・バーテンダー、アメリカ人のハリー・マッケルホーンが1923年に開いた歴史あるバーであり、バー好の憧れの場所だ。わざわざオペラ座近くのホテルを予約した狙いも、このバーの存在があったからなのだ。

「こいつをホテルに放り込んだら、僕はお店に行くことにする。気が向いたらおいでよ」

男は一旦女に別れを告げると、後輩青年を支えながらゆっくりとホテルへの道を歩いていった。

《四》夜のバー①@パリ

バーの店内は混雑していた。男が、地下1階の二人掛けの丸テーブル席に案内された時、男のLINEに女からのメッセージが届いた。男は再び背中に緊張感が走るのを覚えた。

「今そちらに向かってます。折角の機会なんでもう少しお喋りしましょう!バーの場所は確認しました。席を確保しておいてくれる?」

「了解」と返事を打ち、バーテンダーを呼んで席を確保した。女の返答いかんにかかわらず、この店で飲むことは決めていた。後輩青年の代わりに、昔の同級生をパートナーにカクテルを飲めるとは何という幸福の時間だろう… 

「おまたせ。素敵なバーね。ちょっと緊張するわ」

しばらくすると、白のバーコートを着た店員に案内された女が地下の丸テーブルに現れた。店内にいた男たちが振り返って凝視する。パリでも女の美貌は十二分に通用する。女は先ほどまでアップにしていた髪をおろして自然に任せていた。メイクもし直したのだろうか。やっぱり美人だな…… と男は思った。

店員の引いた椅子に腰をおろすと男の視線を真っ直ぐに見据えて言った。

「わたし、バーのお酒はよくわからないの。何を飲んだらいいかな」

「サイドカーはどうだろう…… この店が発祥のカクテルだ。アルコール度数は強いけど、どうやら君は酒が飲めるタイプのようだし、多分大丈夫。気に入ると思うよ」

サイドカーは、この店の創始者、ハリー・マッケルホーンの考案だと言われている。女は静かにうなずいて同意すると、

「ねえ覚えてるかなあ…… 高校時代の先生で……」

とおもむろに会話を切り出した。女は饒舌だった。異国生活を楽しんでいるようでも、日本語で話せる相手が欲しかったのかもな…… と男は思った。

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サイドカー

《五》夜のバー②@パリ

その夜の話題は次から次へと尽きることはなかった。ふたりには共通項が多かった。好きな小説や作家、好きな音楽やアーティスト、好きな絵画や画家… 女は男の繰り出す話題に好ましい反応を返したし、女の話は男にとってとても興味深い内容ばかりだった。酒の強いふたりはどんどん杯数を重ねていった。

「もっと早く君とは話したかったな。僕の周囲にはこんな話題を楽しくできる友達はいないよ」

「私もよ。大学時代に声掛けとけばよかったなあ…… 実はね、私の大学時代の友達があなたを『気になる人だ』ってずっと言ってたわ」

「それなら僕だって、大学時代の男友達から『君を紹介しろ』って何度迫られたことか…… 君は大人気だったからね。かなりモテたんじゃない?」

「まあ声はよくかけられたよ。でも苦手だったな…… ああいうのは。どうしていいかわかんないのよ」

「高校時代も接点なかったよね? 僕のことは知ってたの?」

「知ってたよ。勉強ができる、物静かな人だって印象。あんまり積極的にしゃべるほうじゃなかったよね。Aちゃんと付き合ってたってほんと?」

「それはほんと。二カ月くらいで別れちゃったけどね」

「逆に私のことなんて全然知らなかったんじゃないの?」

「可愛い子の顔と名前は覚えてるよ。たとえ話したことはなくてもね」

異国のバーで周囲に日本語を解する人がいないという安心感がふたりの気持ちをリラックスさせ、開放的にさせていたのだろう。普段無口な男は今日はよくしゃべるなあ、気分が高揚しているなあ、と感じていた。その時だった。女が店内に流れる音楽に反応し、こう言った。

「あれっ、この曲…… 私好きなのよね」

「オーリアンズの『ダンス・ウィズ・ミー』。いい曲だよね。歌詞もいい」

「まあ、驚き! 同世代でこの曲を知ってる人に初めて会ったわ」

『ダンス・ウィズ・ミー』は、アメリカのバンド、オーリアンズが1975年にヒットさせたバラード曲だ。ふたりの育った世代のヒット曲ではない。女の姉がこの曲を好きで、家でよく流れていたという。『Harry's New York Bar』は、”パリの中のアメリカ”がコンセプトの店なので、流れていたのだろう。

《六》夜の終わり@パリ

「今日は楽しかった! 遅くまで引き止めて申し訳なかった。本当にありがとう。気をつけて」

「こちらこそ、ありがとう! 異国で懐かしい人に会って気分よくなって飲み過ぎちゃったわ。気をつけて日本に帰ってね」

「日本にはいつ本帰国するの? 歓迎会がてら、続きを話そう」

「ありがとう。予定では来月後半。帰国して落ち着いたら連絡するね」

「それでわざわざLINEのアドレス教えてくれたの?」

「さぁ、それはどうかな……」

ふたりは店の前でがっちりと握手をした。結構な杯数のカクテルを重ねたわりにふたりの足取りはしっかりしていた。男は歩いてホテルへ、女はタクシーを拾って家路についた。時計の針は丁度12時になろうとしていた。

《七》夜のはじまり@東京

「いらっしゃいませ!」

男がバーの扉を開けると、一斉にバーカウンターの中から声がかかった。

「おや、早かったね。おまたせしました」

約束時間5分前に男はそのバーに到着したのだが、既に女はカウンターで待っていて、男をみつけると笑顔で軽く、左手を挙げた。男は、バーテンダーが椅子を引いてくれた女の右の席に腰をかけた。相変わらず綺麗だな…… 斉藤和義の曲の歌詞が頭に浮かんだ。

「久しぶり。どう日本は? 東京には慣れたかい?」

「全然。毎日しんどいよ。あなた、いいバーで飲んでるのね。入る時は思い切り気後れしたわ」

「東京を代表するバーだよ」

「ありがとうございます。あんまりハードル上げないで下さいよ」

オーナーバーテンダーが、男におしぼりを渡しながら、笑顔で言った。女も静かに笑った。シンプルな白のブラウスと胸元にさりげなく光る銀のブローチがよく似合っている。女が説明を始めた。

「わたしたち、高校、大学の同級生なんです。でも当時はお互い全然知らなくて…… 半年程前にパリで偶然会ったんです。」

「そう。それでパリの『Harry's New York Bar』で飲んだんだよ。今日は彼女の帰国祝い。最初はジントニックをお願いします。」

「じゃあ、わたしも同じものを。すみません。お手洗いをお借りしてもよろしいですか?」

女は席を立って、店の奥のレストルームへと消えた。

「かしこまりました。余計にハードル上がりますね……(笑)でも、同級生ってよくわかりましたね。学生時代は殆ど付き合いなかったんでしょ?」

オーナー・バーテンダーは笑顔を崩さず、ジンのボトルを取り出し、グラスと氷の用意をはじめた。

「そりゃ学園のマドンナ的な存在だったからねえ…… 彼女美人だろ?」

「ええ、びっくりしましたよ。本当にお綺麗な方で。あちらも覚えてらしたんですか?」

「うん。僕は地味な存在だったんだけどね」

「またまた(笑)さすがですね」

ライムを絞りながら、口元が笑っていた。

《八》夜のバー@東京

その夜もふたりの会話は弾んだ。周囲への配慮から話題と声のトーンはパリのあの夜よりも抑え気味ではあったが、半年ぶりの再会でも話題は尽きなかった。女は、帰国してから慌ただしくて東京生活になかなか慣れないとこぼしていた。ふたりの杯数は時間の経過とともに積み上がっていった。

大学時代のカフェテリアのメニューの話をしていた時、ふたりは同時に話を止めた。視線が合わさった。男が切り出す。

「この曲… 好きなんだよね?」

「覚えてくれてたの? あの夜にわたしが言ったこと」

男は無言で頷くと、首筋に手をあて、シャツを緩める仕草をした。今日はネクタイをしておらず、ボタンダウンシャツの一番上のボタンは最初から開いている。背中に緊張感が走った。あの夜と同じ感覚だ。女が口を開く。

「ねえ、ダンスできる?」

「ダンスなんてできないよ…… やったこともないし……」

男は微笑を浮かべて、ゆっくりと小さく首を振り、グラスに残っていた酒を飲み干した。それを見て、女も同じように酒を飲み干した。

「では……」

男は軽くグラスを浮かし、カウンターの向こうへと合図を送った。気付いたオーナーバーテンダーが視線を向ける。左の女に一瞥をくれると静かに言った。

「サイドカーを!」

男と女の声がハモった。ふたりは再び視線を合わせて静かに笑い合った。

オーナーバーテンダーは一瞬目を見開いた後、笑顔で静かにうなずくと、振り向いてバックバーからブランデーのボトルを引き抜き、ふたりに向き合ってゆっくりと言った。

「困ったなぁ…… 怖いお客様だなぁ……」

Inspired by Dance With Me/Orleans 1975 John Hall


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