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二毛作人生

連休最後の今日は、今の私の重要なキーワードである『二毛作人生』についての思索を巡らせてみたいと思います。

『二毛作人生』との出会い

「人生後半戦を愉しむ」が、現在の私が追求しようとしているテーマです。そう考えるようになった理由の一つは、「思考の整理学」という大ベストセラーの著者である外山滋比古氏の『50代から始める知的生活術』という著作を読んだことにあります。

その中に出てくる『二毛作人生』という言葉が心に強く刺さったのです。初読でもかなり影響を受けましたが、今回再読してみて、改めて記憶が甦り、今後の身の処し方を考える上で勉強になる部分が多かったです。

著者はエッセイの名手であり、リズミカルでとても読み易い私好みの文章を書かれます。御年95歳ですが、エネルギッシュで感覚が鋭い(本書は2015年の発売)と感じます。惹かれたのは、冒頭の"自分の足で歩く"という中のこの一説でした。

少なくとも、選択肢のない人生は送りたくありませんでした。【中略】人生は二毛作がいい。同じ耕地で、一年のあいだに異なる作物を栽培することを二毛作といいます。同じ作物をつくるのは二期作です。二期作ではなく、二毛作がいい、最初に歩んだ道とは異なる、別の生き方をする人生を考えました。(P15-16)

そして、預貯金も退職金も生命保険もアテにしない(リスクのある株式投資を推奨)で、爽快にこう言い切ってしまう所が痛快です。

二十年、三十年と続く長い第二の人生で、大過なく過ごすことだけを優先していたのでは、つまらないものになることは目に見えています。(P38)

『二毛作人生』を目指す人の読書

著者は、中年期を過ぎてからの読書には懐疑的です。30代以降の読書は大して役に立たないので、余計な本は読まない方がいいとさえ書いています。

読書には、知っていることについて書いてある文章を読むアルファー読みと未知のことを読むベータ読みがあると言います。本当の教育はアルファー読みでは出来ないのに、学校教育ではアルファー読みばかり教えてしまうので、自分の頭で考えるベータ読みへの移行がなかなか出来ない、読書力のない人間が殆どである、二毛作人生を愉しむには、ベータ読みを確立すべき、と書かれています。

情報を蓄積したり、知識の詰め込むことには熱心でも、納得して鵜呑みにするだけで、自分の頭で考えていないことが多い私には耳の痛い話でした。

『二毛作人生』に「どうせ」は禁句

特に、印象に残っているのが、この章です。私も日常生活の中でついつい使ってしまうのが「どうせ」ということばです。これはNGワードだというのは頭ではわかっているものの、他人から軽い扱いを受けたり、失敗して気分が落ち込んだ時に、自分の不甲斐なさから吐き捨てるようについ使ってしまう危険な言葉です。

二毛作人生を生き切る為には、嫌なことはぐじぐじ考えずに意識して忘れ、爽やかに過ごすことが大事だと共感します。「どうせ……」と言わないよう、強く意識付けをしていきます。

『二毛作人生』に求められる自活力・自律力

著者が強調するこの自立力についてだけは、私は少し意見を異にします。自分の力で生き抜いていくことは大切だし、理想だと思います。しかしながら、自分の力ではどうしようもない周囲の環境の問題で潰されていく人が大勢います。そういった不遇を全て本人の努力不足や能力不足の責に帰してしまうのは、いささか酷だと思うのです。

自分のことは自分ですることが簡単に出来る人や、それが可能なタイミングの時はそれでいい。ですが、そうではない状況に陥った時は遠慮なく周囲に助けを求めるべきだと思います。甘えを一切許さない緊張感や殺伐感、自立できない人間を許さない不寛容な空気が、多くの日本人の生き辛さに繋がっているように感じるのです。

二毛作人生を目指そうという人には、自分のことは自分でする覚悟は必要でしょう。二毛作人生が成立するかどうかは自分の意志と覚悟次第です。権威や周囲から守られない位置にあえて身を置く以上は、自立と自律の精神は必須です。しかしながら、最終的に破滅しない為には、踏ん張り続けることができなくなったら離脱するいい加減さも許容しておきたいと思っています。

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