見出し画像

訪れたあの街④:パリ

以前訪れた街に思いを馳せる

普段当たり前に享受していた「移動の自由」に制約が入ると、移動好きの虫が騒ぎ出します。世界中に点在する魅力的な街を巡る生活に憧れ、これまでに幾つかの夢は叶いました。

あの街はよかったなあ… あの街へ死ぬ前にもう一度行ってみたいなあ… 私にはそんな街が沢山あります。第4回は、パリ(Paris)です。このnoteは #おうち旅行  企画に参加させていただく予定です。

パリの概要

花の都、芸術の都、ファッションの都… フランス共和国の首都パリは、幾つもの異名を持つ華やかな街です。

フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心である。ロンドンと共に欧州を代表する世界都市。行政上では、1コミューン単独で県を構成する特別市であり、ルーヴル美術館を含む1区を中心に、時計回りに20の行政区が並ぶ(エスカルゴと形容される)ーWikipediaより

パリの面積は、ティエールの城壁跡に造られた環状高速道路の内側の市街地(面積は86.99㎢)とその外側西部のブローニュの森、外側東部のヴァンセンヌの森を併せ105.40㎢。市内をセーヌ川が流れ、約215万人(2020年1月現在)の人が暮らしています。

画像6

街の歴史は古く、長い歴史の中で戦乱、疫病、革命、占領などの荒波を生き抜いてきました。パリ市の標語であり、紋章の下部に記された「たゆたえども沈まず(ラテン語: Fluctuat nec mergitur)」は、パリ市民の誇りを感じさせる私の大好きな言葉です。

パリとの出会い

私が初めてパリに行ったのは、2002年12月のクリスマスシーズンです。その頃、私の大学時代の友人家族がロンドンに駐在していて、クリスマス休暇に合わせて一緒にパリに遊びに行く約束をしました。

私達夫婦は、駐在していたデトロイトから一旦ロンドンへ飛んで、友人家族と合流しました。ロンドン〜パリの往復は、英仏海峡トンネルを渡るユーロスターで移動しました。電車の旅は優雅で楽しい時間でした。

妻は、幼少時にパリで暮らした経験があり、成人してからもフランスに留学したフランス好きなので、このパリ行きをとても楽しみにしていました。

パリの思い出

私のパリ体験は、この時と仕事の出張で2泊した2014年11月の2回だけです。

実際にその地を踏むまで、パリという街に期待はしていませんでした。パリジャン、パリジェンヌはお高くとまっている、という先入観があり、イメージがよくありませんでした。

ところが、そのイメージが瞬時に吹き飛ぶくらい、パリの街の雰囲気には魅了されました。歴史的建造物や街並みに興奮しました。今では、色々訪れた世界の街の中で最も好きな街の一つです。

1回目の2002年は、12/24から12/26まで2泊3日の旅でした。パリ観光のルートやレストランの予約は、張り切っている妻にすべてお任せしました。この時は、凱旋門やコンコルド広場、モンマルトル、エッフェル塔、ノートルダム寺院、ルーブル美術館などパリの主要な観光名所を駆け足で巡りました。

着いた日のクリスマスイブの夕食は、友人家族と一緒に凱旋門近くにあるエスカルゴが有名なレストランで食べました。翌日のクリスマスの夜は、奇跡的に予約が取れたミシュラン一つ星の老舗フレンチレストランで豪華にディナーを楽しみました。どちらも美味で、雰囲気も良かったことはうっすら覚えています。ロンドンに戻る日の昼食は、ピラミデ地区のラーメン屋で、ラーメンと餃子を食べたことも覚えています。

2回目は、2014年11月の出張です。この時は金曜日の夕方に、シャルルドゴール空港に着き、パリ市内へはバスで移動しました。丁度ラッシュの大渋滞に巻き込まれて、オペラ座近くの宿にチェックインした時には結構いい時間になっていました。同行者が一人いたので、凱旋門の方まで散策してから、カジュアルなレストランで食事をし、私の行きたかった老舗のバー、「ハリーズバーニューヨーク・パリ店」で、この店が発祥と言われるカクテル、サイドカーを味わいました。金曜の夜だったのでバーは混雑していて、立ち飲み客も多かったです。翌日は、オルセー美術館で印象派絵画を鑑賞したり、ポンヌフ橋やセーヌ川沿いの散策を楽しんだりしました。

パリは本当に興味の尽きない街です。いつか必ず再訪したい街です。

画像1

画像2

画像3

画像4

画像5




この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。