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『三流』を読む

本日は、長嶋一茂『三流』(幻冬舎)の読書感想文です。


『三流』に込められた思い

元プロ野球選手で現在はタレントとして活躍する長嶋一茂氏の2001年35歳の時に出た本です。これまで自分が辿ってきた人生を振り返りながら赤裸々に語った内容を、ライターの石川拓治氏が文書化したものです。

一茂氏は、恵まれた体躯と素質を持ち、立教大学から1988年にドラフト1位指名を受けてヤクルトに入団しました。プロ通算9年間、実働7年で出場384試合、生涯打率 .210、18本塁打。一流選手だったとは言えません。

肘や膝の故障に悩まされ、満足なプレーが出来なかったのも一因ですが、一茂氏は「大成しなかったのは、野球が下手だったから」と潔く分析されています。

一茂氏の父親は、『ミスター』と呼ばれ、プロ野球史上最大のスターである長嶋茂雄読売巨人軍終身名誉監督です。偉大な父親と同じプロ野球選手の道に進み、スター選手になることを確信していた一茂氏にとって、「長嶋茂雄の息子らしく一流でなければならない」ともがき苦しんだ日々は挫折の連続だったでしょう。タイトルの『三流』にはその思いがこめられています。

怒りをばねにし続けることはできない

一茂氏がプロ野球選手の道を志したのは、純粋に野球が好きだという理由に加え、父を監督から解任した読売巨人軍への怒りがあったとあります。自分が名選手になることで巨人軍にリベンジしたかった、怒りが原動力になり、辛い練習にも耐え、向上心を育めたことを認めています。

一方で、怒りをばねにし続けることの限界も言及されています。何かに対する怒りを、きっかけや発奮材料にするのは肯定される。ただ、プロ野球に限らず、怒りの気持ちだけで乗り越えられる甘い世界はない。その世界で大成するためには、自分の全身全霊を注ぎ込み、虚心坦懐で楽しむ境地に到達する必要がある、というような趣旨と理解しました。共感します。

受け継いだカリスマ性と計算高さ

一茂氏の大らかで裏表がないユニークな性格と忖度なしにはっきりものを言い切るキャラクターはタレントやコメンテーターとして重宝されています。立教大学4年生のキャプテン時代に発揮したカリスマ性のエピソードから、リーダーの資質もあったようです。

彼の突拍子も無い言動や奔放な振る舞いが何となく許容されてしまうのは、彼が父から受け継いでいる天性の資質のように思います。

一方で、合理的で計算高い考えの持ち主であることも伺える話が随所に出てきます。多くのスター選手がそうであるように、基本的に自己中心主義、自意識の塊ではあるのでしょう。人の歓心を買おうと苦労して卑屈な態度を取る必要のない生き方をしてきた人の価値観という気もします。

ライターの石川氏が著述した以下が本質を衝いているように思います。

結局のところ、金持ちのボンボンなのである。
誰に対しても礼儀正しいし、優しいし、心根の底にあるのは嘘や偽りの嫌いな純粋な魂なのだが、本当の意味で人に気を遣うとか、遠慮することは、実を言うと彼のあまり得意とするところではなかった。そんなことをしなくても充分愉快に生きていけるのだ。(P63)

常に場の中心に座ることが約束され、注目されること、気にかけてもらえることが当たり前だった人生の中で、自分のイメージとは外れたのがプロ野球選手としての9年間だったのかもしれません。本人もあの経験がなければ、自分は鼻持ちならない傲慢な人間になっていた、と認めています。

恵まれた境遇で育ち、順風満帆で生きている人には、やっかみや嫉妬心もあってなかなか共感できないものです。一茂氏は自分の思うようにいかない辛い経験を後天的にもしているから、実生活で何とかバランスを取り続けられるし、周囲から支持も集まるのかもしれません。




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