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『思いをことばに変換する』から考えたこと

本日は『思いをことばに変換する』についての気付きから考えたことをことばにしてみます。

言語化する能力への渇望

誰かから意見を求められた時には、その内容を読み取って、自分が頭の中で考えたことや感じたことを、瞬時に適切な話しことばにして伝えていく必要があります。

noteを書く際には、自分の持っている知識や自分の経験や感情を、相手が受け取れる文章にして構成していくことが必要になります。

私は、ことばを自由自在に操れることに憧れてきました。ことばの力で、人の心を動かせることに憧れを持ちました。ことばを武器として扱えるような訓練も、我流ながら地道に積み重ねてきました。

言語化する能力を鍛えるためには、


● いつ学べばいいのか?
● 何を学べばいいのか?
● 誰に学べばいいのか?
● どこで学べばいいのか?
● どうやって学べばいいのか?
● どれくらいの期間、学べばいいのか?

といったことを何度も考えてきました。

しかしながら、私が日常生活で思いをどのようにことばへと変換しているのか、言語化する際にどういうメカニズムが働いているのかについてあまり深く考えたことがありませんでした。

自分の思いを発言する機会は実はそんなにない

普通に日常生活を送っていると、自分自身の思いをことばにして発言する機会自体が、実はそんなにない、ことに気付きます。大抵は決まりきったルーティンによって条件反射的に出てくることばが殆どです。

公の場でも、予め用意された複数のテンプレートを駆使し、TPOに相応しいと思われる用語を貼り合わせ、言い回しを使っています。感情を絞り出すようにことばを使う場面は殆どありません。

つまり、脳味噌を捻って考え抜き、魂のこもったことばに落とし込むような機会は殆どなく、自然体で過ごしていると、実践の場も、訓練の場もなかなか訪れません。使い慣れたテンプレートの使い回しを続けていれば、パターン化した状況の殆どを乗り切れるということかと思います。

非日常の日常化

と考えると、意識的に非日常的な状況 〜思いをことばにする場面〜 に遭遇するように日常を設計しておくのが有効かもしれません。

強制的に言語化しなければならない環境に身を置けば、能力が磨かれ、次第に研ぎ澄まされてきそうです。他者の優れた言語化事例を拝借したり、町で見かける看板の文字に敏感になったり、音声にインスパイアされたり、外から吸収する力も高くなります。

いわば、非日常の日常化を図ることで、思考が硬直するのを防げるように思います。地道な努力ですが、これは大切な習慣だと考えています。

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