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人生が旅だというならば

本日の記事は、『人生が旅だというならば』というテーマで、思う所を書いてみた自由作文です。

人生を旅に喩える話

人生は色んなものを背負いながら歩いていく長い旅である、というようなことが言われます。人生を旅に喩えた話も、世の中に無数にあります。

仮定の話として、人生は旅ということにしましょう。自分の旅のゴールがどこにあるのかの最終目的地が明確で、いつ辿り着くのかも計画していて、誰と歩くのかも決めていて、旅の方法も詳らかにして生きている人もいれば、私のように大海を漂流するかのような人もいるかもしれません。

私は旅行が好きです。ここではないどこかへ移動するという行為が好きなのです。旅先で名所旧跡を観光したり、地元の料理を食したりするよりも、飛行機や電車やバスに乗って移動している時間自体が楽しかったりします。一つの場所にとどまり続ける時間が苦痛です。

一方で、帰る場所があるから旅を楽しめるという感覚もあり、サッカーの中田英寿選手が現役引退した後にやっていたように、バック一つで心の赴くままに世界中を巡る旅を楽しむセンスは持ち合わせていません。必ず戻ってこれるホームありきの旅好きです。

私の旅(人生)計画

こういた自分の特性も慎重に考えて、比較的手堅い選択を繰り返してきた結果、今現在の自分があります。移動好きな私にとって、日常的に海外に仕事で行けることは有り難いことですし、感謝すべきことだと思います。

ですが、一度きりの人生、このまま波瀾万丈を楽しまずに終えていいのか? という悩みが頭を支配しています。もう51歳になりました。体力も若い頃より確実に低下しているし、集中力や根気も衰えています。行動力や感性もおそらく若い頃より鈍くなっています。

人生の道草も思ったほどはしていません。無駄なこと、無理なこと、無意味なことが好きなのに至極平凡に過ぎていったような人生です。もっと無茶をやる時間があってもいい気がしています。

振り返ると、自分はただ周囲の期待に応えて褒めてもらうことにやり甲斐を感じてきただけの単純で薄っぺらい人間なんではないか?という疑問が渦巻いています。このままでは、そのうちエネルギー切れになって、無気力に陥り(既にその兆候を感じています)最終的に【無敵の人】になってしまうのではないかと怖くなります。

旅というリスクに漕ぎ出す

人生が旅だというならば…… 人生の前半戦は割合精密に描かれた地図に沿って、教科書通りに歩いてみたので、後半戦は自分の感性を信じて破天荒に生きてみたい、そんな衝動と日々共存しながら過ごしています。1年後の私が今の私に出会ったら、どう思うのでしょう?

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