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川下り型キャリア

本日は、『川下り型キャリア』について、自由に妄想を膨らませてみようと思います。

山登り型と川下り型

自身のキャリア構築の方法として、『山登り型』と『川下り型』がある、と言われます。

『山登り型』は、昔からよく耳にしてきた考え方です。すなわち、登るべき山の頂上(=目標)を定めて、最適な登山ルートを設定し、準備すべきものや到達までの時間を逆算して、キャリアを形成していくというやり方です。

一方の『川下り型』は、
● 時々の流れに身を任せる
● 咄嗟の判断で進む方角を決め、辿り着いた先で臨機応変に考えていく
● その場その場での経験を積み重ねて、キャリアを築く
といった行動を繰り返しながら、キャリアを形成するやり方です。『川下り型』ということばが充てられるようになったのは最近のことのように思います。

人生の前半戦は、ただ電車に乗っていただけ

私は、どちらのタイプだろうと考えると、人生の前半戦、学校を出て会社に就職して働き始めてからの自分は、どちらでもなかったような気がします。俯瞰して言うと、会社から用意された電車(≒キャリアプラン)に乗って、その時々で与えられた仕事と役割を受け容れて、こなしてきただけのように思います。それは、決して悪い経験ではなかったし、後悔もしていません。

その時々で、自分のやりたい仕事の希望や自分の適性に向いた仕事とは、果たして何なのか、自分の望むキャリアとはどういうものなのか、は真剣に考えていました。目先の仕事で結果を出して組織に貢献する為のスキル獲得や、情報収集の努力は貪欲にやってきた、という自負もあります。

しかしながら、所詮は所属する組織の中で、次に何をやりたいか、という視点での考察や行動に過ぎませんでした。定年まで同じ会社に勤めようという強い気持ちも覚悟もなかった反面、自分の能力を徹底的に磨いて労働市場での価値を高め、人脈を築いてより活躍できそうな、良い条件の企業に転職してやろう、起業をしてやろう、とかを真剣に考えてはいませんでした。「働く」「稼ぐ」「出世する」ことを人生の中心に据えることに対して、心の底からの魅力は感じておらず、そこから得られるものにも大して執着していなかったような気がします。

何者かになろうと気張る生き方は捨てる

時が流れて、人生後半戦を生きる今の私は、圧倒的に『川下り型』のキャリア作りに魅力を感じています。大きな目標は行き当たりばったりで決め、至近の達成すべき目標はバックキャスト型で攻めていくのがいいのではないでしょうか。

そもそも、『キャリア戦略』ということばからは、『山登り型』を前提にしているような臭いが漂います。幼い頃から「将来は何になりたいの?」としょっちゅう聞かれてきました。私には、心に秘めた将来の目標があった訳ではなかったので、「メンドくさいなあ...」と思っていました。その場その場で、最も興味を持っていた職業を適当に返して、その時間を凌いでいました。強い覚悟を持って答えたことは一度もありません。将来の目標には、「立派な社会人になる」というフワッとしたことを言っていました。

これだけ変化が大きく、かつスピードが早い時代になると、目標を山に見立てて頂上に向かうプランを立てて一目散に登っていくような生き方は、リスクが高いような気がします。山は登るのも大変なら、降りるのも大変です。好きなことで身を立てるのは、なかなか大変です。好きなことで社会に認められず、失敗すると「挫折した」という深い悩みを抱えます。現実的な目標ですら叶わない確率の方が高い、というのが私の肌感覚です。

第一印象で、面白そうなこと、嫌いではないこと、許容できること、で満足し、その中から面白さを深掘っていくのが、私の好きなスタイルです。要は何でもいいのです。明日が信じられるうちは、なんとでもなる、と最近は開き直れるようになりました。ビジネスキャリアもその程度の楽な気持ちで考えたらいいのではないでしょうか。

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