見出し画像

『ペルソナ』を読む

本日の読書感想文は、中野信子『ペルソナ 脳に潜む闇』(講談社現代新書)です。

重たい読後感

脳科学が専門で、テレビのコメンテーターとしても活躍中の中野信子さんとは本書がファーストコンタクトでした。御本人の幼少期から学生期、ポスドクとしてフランス滞在中の経験を綴った自伝的内容になっています。

書店で立ち読み中に本書の冒頭で、中野氏が「無駄を肯定する」という趣旨からの以下のくだりを読んで購入を決めました。

何がしたいのか、わかる方がつまらない。何十年も先が見えてしまうような生き方は退屈ではないのか。見えてしまう方が気持ち悪くはないのだろうか。(P4)

読了したのはもう数か月前になるので、読んだ当時の感情の記憶が少々薄れてしまったものの、深く共感して同調したい部分がある反面、やっと治療した傷口を再びえぐられるように感じた部分とが相俟って読後感は凄く重たいものがありました。最後まで読み通すには結構なパワーがいりました。

…らしくに囚われて生きているのはしんどい

『ペルソナ』とは、ラテン語で「仮面」を意味することばです。デジタル大辞泉では以下のようになっています。結構頻繁に耳にすることばですが、自分で意味をこのように確認したことはありませんでした。

ペルソナ 《仮面・役柄の意》
1 人。人格。
2 キリスト教で、三位一体論に用いられる概念。本質において唯一の神が父と子と聖霊という三つの存在様式をもつことを意味する。位格。位。格身。→三位一体
3 劇・小説などの登場人物。また、文学作品の語り手。
4 心理学で、外界へ適応するために必要な、社会的・表面的人格。
5 美術で、人体・人体像。
6 商品開発の際に設定する架空の人格。名前・年齢・性別・趣味・住所などから始め、細部に至る人物像を作りだし、その人格に感情移入することで、ユーザビリティーに優れた製品・商品の開発に結びつける。

中野氏は、他人から「…な人」とイメージを固着されることに強い抵抗を感じるようで、自分の社会的肩書からイメージされる「…らしく」という像に囚われる生き方に疑問を呈しています。

「中野信子を知りたい」と近寄ろうとする人とも極力距離を置きたがっています。そういう人に「私を知りたければ、これを買って読め!で済ませたかったのが本書の執筆理由の一つ」としています。

気になった表現たち

読んだ際に気になって付箋を貼った表現を幾つか書き抜きます。

この世界で社会人として生きていくには、こうした言語の運用スキルが極めて重要だ。人間力、とよく言われるが、外側から見えるものはほとんどすべてが言語である。(P72)
耳障りのいい言葉はほとんどの場合、不都合な真実とセットである。短期間のうちに起こされる、大きな変化の後には、弱者が犠牲になるものだ。(P109)
すべてを自己責任に帰す新自由主義のパラダイムと、どんな困難も不断の努力で乗り越えられるはずであると断ずる根性論とは、驚くほど相性がよい。私はいずれも肌に合わなかった。(P120)
明るくて正しいメッセージを発し続けていると、かえって闇が深くなることがある。自分が満たされていないのは、自分がおかしいのだ。ポジティブになれないのは、自分に良くないところがあるせいだ。そうやって自分をひそかに責め始めて、止められなくなるのである。(P170)
本当に溺れている人は溺れているようには見えない。溺れる人は、静かに沈んでいく。(P173-174)
勝ち組・負け組という言い方があるが、私はあまり好きではない。なんとも下品な言い方で、軽く扱われているが、この言葉には稼いでいなければ生きている価値がないとでもいうかのような野蛮で貧しい響きがある。(P194)

自分の嗜好や心情を曝け出して主張できる中野氏は強いな… と思います。自分は偽善的に生きてきたのかなあという気分に襲われました。これが本書読了後に感じた重たい読後感の正体かもしれません。

この記事が参加している募集

サポートして頂けると大変励みになります。自分の綴る文章が少しでも読んでいただける方の日々の潤いになれば嬉しいです。