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元ドリフ・荒井注さんの生き方への憧れ

本日は、元ドリフターズの荒井注さんの思い出です。

ザ・ドリフターズの再評価は嬉しい

国民的人気のコメディアン、志村けんさんの急逝は衝撃的でした。先週から今週にかけて、テレビでは数々の追悼番組が組まれ、改めて志村さんが歩んできた足跡の凄さと温かい人間性の確認作業が行われました。志村さんには、笑いのプロフェッショナルとしての矜持があったのだ、という感慨がありました。

志村けんさんの軌跡を辿る中で、ザ・ドリフターズ(以下ドリフ)への再評価も起こっています。私もネット検索で昔の『8時だヨ!全員集合』の動画を観ました。50歳を過ぎた今観ても笑ってしまうコントが多いです。

ドリフで志村けんは荒井注の後任だった

志村けんさんは、荒井注さんが1974年3月にドリフターズを脱退したことによって、ドリフの正式メンバーになりました。

荒井注さんと志村けんさんの間には、年齢差が22歳もあります。付き人から昇格してドリフに加入したばかりの志村さんは、本人も語っていましたが、番組のコントで空回りすることも多かったです。

「おこっちゃやーよ」などのギャグでじわじわ頭角を現していきましたが、人気が爆発して、全国区の大スターになっていくのは、東村山音頭のヒット以降ではないかと思います。

This is a pen! 

私は、荒井注(1928/7/30-2000/2/9 享年71歳)さんのとぼけたキャラが好きでした。『8時だヨ!全員集合』での「This is a pen!」のギャグや、突然群衆に襲われてボコボコにされるコントに腹を抱えて笑っていました。

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荒井注氏

志村さんが加入する前のドリフで、一番人気があったメンバーは、加藤茶さんでした。みんなカトちゃんの真似をしていました。幼稚園児で、荒井注推しというのはなかなか渋い趣味だったかもしれません。

注さんは45歳の時にドリフを脱退し、芸能界からも一時引退しています。脱退・引退理由には諸説があるものの、リーダーのいかりや長介さんが語っている「体力の限界説」を信じたいと思います。

長さん、オレもう十分働いた。オレ自身も、これだけ働く人間だとは思わなかった。もう遊びたい。今すぐ抜けると迷惑かかるだろう。だから、あと半年、奉公するよ。
いかりや長介『だめだこりゃ』より

人気絶頂のコメディグループのメンバーという肩書きを捨てて、自分の理想の人生哲学を貫いたのは本当に格好良い生き方です。

引退を決意してから半年間の注さんのパフォーマンスを、いかりやさんは絶賛しています。「立つ鳥後を濁さず」のプロの仕事ぶり。最高の仕事と記憶を残してグループを去ったからこそ、脱退後もメンバーとの交流が続き、しばしば共演が実現していたのでしょう。

引退後約半年は、自身の理想だった釣り三昧の自由気儘な生活を送っていたようです。請われて芸能界に復帰した後は、役者やタレント活動をマイペースで続けながら、静岡県の伊東市に移住されました。私生活では、死別した最初の奥様の他、三度の結婚をされています。

2000年2月8日、自宅で入浴中に肝硬変を起こして死亡。享年71歳でした。

懸命に生きて、70代前半で命を散らす人生

注さん以外のザ・ドリフターズのメンバー、いかりや長介(1931/11/1-2004/3/20 享年72歳)さん、志村けん(1950/2/20-2020/3/29 享年70歳)さんも70代で他界しています。平均寿命が伸び続ける現代の感覚では、70代前半での逝去は早いなあという印象があります。

でも私は、人生は長さではなく、濃度だと思います。充実した前半生と円熟の後半生を味わって71才で生涯を終えた注さんの生き方に憧れます。私は注さんの社会的成功への野心を剥き出しにせず、得た地位に汲々と固執しなかった個性的で自由な生き方に憧れと尊敬の念を抱いています。



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