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『社会的共通資本』を読む❶

本日は、年末年始休暇を使って、ゆっくりと読み進めている名著、宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書2000)❶=はしがき、序章、第1章 社会的基本資本の考え方 の読書ノートを記していきます。

制度主義の体現 ~資本主義と社会主義を超えて

本書では、19世紀末~20世紀初頭のアメリカの経済学者、ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen 1857/7/30-1929/8/3)が提唱した制度主義(institutionalism)の考え方が何度も援用されます。『はしがき』でも

制度主義は、資本主義と社会主義を超えて、すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できるような経済体制を実現しようとするものである。(中略)
社会的共通資本は、この制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したもので、二十一世紀を象徴するものであるといってもよい。

はしがき

とはっきり言っています。

序章 ゆたかな社会とは

宇沢氏が記述した『ゆたかな社会』についての極めて示唆に富んだ定義は、多くの場面で引用されます。

ゆたかな社会とは、すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力とを充分に生かし、それぞれのもっている夢とアスピレーションが最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会である。

P2

このようなゆたかな社会を実現するための経済体制が、本書で提唱される社会的共通資本(Social Overhead Capital)を中心とした制度主義の考え方、ということになります。

社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。

P4

社会的共通資本は、たとえ私有あるいは私的管理が認められているものであっても、個人や特定組織の独占・専横は許されず、社会全体にとっての共通財産として、社会的な基準にしたがって管理・運用されねばならないとされ、あらゆる条件を考慮して決定されるものです。

社会的共通資本は、大きく自然環境・社会的インフラストラクチャー・制度資本の三つに分類して考えられるとされ、制度資本の代表として教育・医療が言及されています。宇沢氏は、教育現場の荒廃と地球環境問題に言及し、

二十世紀の世紀末的状況は、資本主義の国々と社会主義の国々とを問わず、二十世紀を通じて、さまざまな社会的共通資本の管理・維持を適切におこなってこなかったことにもっぱら起因するといっても過言ではない。

P9

と書いています。

第1章 社会的共通資本の考え方

この章を読むことで、社会体制の変遷や社会を支配した経済学説・経済思想の流れがよく理解できました。

第1節 社会的共通資本とは何か

二十世紀の世紀末/世紀末へのプレリュード

1970年代の時点で、社会主義の理念と理論の前提への不信感が明らかになる一方、アメリカ的資本主義を支えたアメリカン・ケインジアン理論の空虚さへの反省から、資本主義、社会主義といった既成の体制概念をこえて、リベラルな経済体制を支える新たな理論的枠組みを構築しようとする動きがあったといいます。

ところが、資本主義陣営は、反ケインズ主義的で、極端に保守主義的な経済学 ~サプライサイドの経済学・マネタリズム・合理的期待形成の経済学など の流行によって、経済の不安定化、所得分配の不平等化の方に振れていくことになってしまいました。

二つの「レールム・ノバルム」/社会主義から資本主義へ

「レールム・ノバルム(Rerum Novarum)」とは、「新しきこと」「革命」を意味することばです。1891年にローマ法王、レオン13世によって出された回勅をさし、その中には、「資本主義の弊害と社会主義の幻想(Abuses of Capitalism and Illusions of Socialism) 」という印象的な言葉が使われていたといいます。

1991年5月15日、ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世が発出した「新しいレールム・ノバルム」では、逆に「社会主義の弊害と資本主義の幻想(Abuses of Socialism and Illusions of Capitalism)」という表現で問題提起されました。

社会主義を象徴する計画経済が技術的欠陥を抱えていることが周知される一方、資本主義の分権的市場経済も、実質所得と富の分配の不平等化・不公正化という致命的問題を抱えていることも広く知られています。

制度主義と社会的共通資本/社会的共通資本の管理、運営

社会主義、資本主義に代わる制度主義、制度主義を支える社会的共通資本の解説が展開されます。

第2節 市民的権利と経済学の考え方

資本市場と市場経済

生産手段の私有制を前提とする市場経済制度のもとでは、効率的な資源配分を実現することが可能になっても、所得分配にかんする公正性を期待することはできない

P26

経済学の考え方と市民的権利

新古典派理論は、市場経済制度を重視するため、資源の効率的配分に焦点をあて、所得分配の公正性は無視する理論であることが説明されます。

新古典派理論の虚構

新古典派理論の想定する市場経済制度には、以下の理論的前提があります。
① 希少資源の私有制
② すべての生産要素がマリアブル(malleable 可塑的な)ないしは非摩擦的である。
③ 所得分配の公正性は暗黙裡に想定されている。
宇沢氏は、市場経済制度自体が虚構である、という立場です。

市民の基本的権利と経済学

世界大恐慌を経験して、自由権の思想から進んで生存権が基本的権利という政治思想の考えが広まりました。

ケインズ経済学

ケインズは、市場経済制度のもとでは、完全雇用をもたらす自律的メカニズムは存在せず、非自発的失業の発生こそ、「一般的」で、完全雇用は「特殊」であることを理論的に証明しました。

さらに市場経済制度を前提に、政策目標(物価安定、完全雇用)を達成するには、有効需要を適切に操作することで可能になる、と考えました。新古典派理論の①②の公理を否定したことと、市場経済制度の重要プレーヤーである企業の役割に着目し、金融資産市場の影響を解き明かしたことに功績がありました。しかし、③の面への対応は不十分でした。

経済学の第二の危機

経済学の第二の危機は、経済学者、ジョーン・ロビンソン(Joan Violet Robinson 1903/10/31-1983/8/5)が語ったもので、ケインズ経済学に代わるべきパラダイムがいまだ確立していないことをさします。

既成のパラダイムの理論的基礎は崩壊し、その実践的有効性はすでに失われてしまっているにもかかわらず、新しいパラダイムがまだ形成されていないような状況

P39

社会的共通資本の考え方は、このような歴史の捻転をなんとか是正して、より人間的な、より住みやすい社会をつくるためにどうしたらよいか、という問題を経済学の原点に返って考えようという意図のもとにつくり出されたものである。(P43)

P43


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