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『社会的共通資本』を読む❹

随分と間があいてしまいましたが、宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書2000)の❹です。いよいよ教育についてです。

第4章 学校教育を考える

教育は、人間が人間として生きているということをもっとも鮮明にあらわすものである。一人一人の人間にとっても、各人の置かれた先天的、歴史的、社会的条件の枠組みを超えて、知的、精神的、芸術的営みを始めとして、あらゆる人間的活動について、進歩と発展を可能にしてきたのが教育の役割である。(P124)

宇沢氏は、学校教育は社会的共通資本の重要な要素である、という強い信念を表明しています。

第1節 社会的共通資本としての教育

宇沢氏は教育の目的は、子どもが社会的人間として成長し、幸福な実り多き人生を送るためにある、と考えており、特定のイデオロギーを刷り込むことに強く反対の立場を取ります。子どもの能力を単尺的な尺度で測ったり、比較したり、パフォーマンスを順位付けしたりすることに批判的で、それは教育の目的ではないという主張をしています。(P125-126)

宇沢氏は言語学者のノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky 1928/12/7- )を引用します。教育の出発点は、言語の習得と数学であるとし、それは生まれながらの才能ーインネイトな知識と能力ーであるとしています。

第2節 デューイとリベラル派の教育理論

続いて、宇沢氏はジョン・デューイ(John Dewey 1859/10/20-1952/6/1)が『民主主義と教育』の中で著した社会的統合・平等・人格的発達という学校教育制度の三つの機能を引用します。

社会的統合とは、

若い人々を教育して、社会が必要とする経済的、政治的、文化的役割を果たすことができるような社会人としての人間的成長を可能にしようとすることである。(P133)

と説明されています。

平等については、学校教育が機会の平等化をもたらし、社会、経済体制の矛盾を相殺するという役割を果たすという信念を指します。リベラル的な考えと言えます。

最後の人格的発達とは、教育によって子どもたちが潜在的能力を発達させるということを意味します。

デューイの教育理念は、アメリカの学校教育制度に大きな影響を与えたと言われるものの、宇沢氏は、

デューイの掲げた平等主義的な教育理念にもとづいてつくり出されたアメリカの学校教育制度が、現実の非人間的、収奪的状況のもとで、逆にアメリカ社会のもつ社会的矛盾、経済的不平等、文化的俗悪さをそのまま反映し、拡大再生産する社会的装置としての役割を果たすことになってしまったのである。(P136)

と評しています。その後時代を経て、デューイの唱えたリベラリズムの教育理念は後退し、専門技術主義=能力主義の考え方が台頭してきます。

専門技術主義=能力主義は、資本主義制度のもとでは、各人がどのような所得、権力、地位を得るかということが、それぞれ個人のもっている知的、身体的、その他の能力によって決まってくるという考え方のもとづいている。(P137)

第3節 ヴェヴレンの大学論

この節では、宇沢氏はソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen 1857/7/30- 1929/8/3)の展開した大学論を取り上げます。

ヴェヴレンの中心的概念でもある、Idle CuriosityとInstinct of Workmanshipを取り上げ、論じています。

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