今日のテーマ、"プリ"とは、何のことかわからないと思います。この言葉は、私の青春時代を語る際には忘れられない言葉なのです。
"プリ"は、私が大学時代を過ごしたフィールドホッケー部でお世話になった二年上の先輩の口癖で、やりたかったプレーの"失敗"とか"ミス"を意味する用語です。因みに動詞形は“プリする”です。
当時の部員の間で"プリ"は、広く知れ渡っており、日常用語として定着していました。部で作っていたチーム紹介パンフレットの人気コーナー(だったんだろうか‥)、『Imidas of ホッケー部 〜ホッケー部用語の基礎体力〜』にも登場しています。
その先輩はプレーをミスすると、しばしば、「あかん、プリしてもうた」「プリシュートやんけ」「またプリや」と呟いておられました。それを見た周囲の選手もなぜか同じようなミスをしてしまうという「プリの連鎖」という現象も起こっていました。
また、ミーティングでは「みんな、プリはしてもええから思い切ってやろう! でも、チームに与えるプリだけはあかんぞ!」と堂々と語られており、よくわからない不思議な説得力がありました。
単体で使われる"プリ"には、「細かな」とか「些細な」という軽いニュアンスが漂うのですが、"チームに与えるプリ"と言われると、何か途轍もなく重大なものが潜んでいるような気がして、気持ちが引き締まったものです。
私は、チームのムードメーカーでもあったその先輩がやっていたポジションを引き継いだので、直接指導してもらったり、アドバイスをもらったり、本当にお世話になりました。
自分が試合に出るようになってからは、『チームに与えるプリをしない』という先輩の戒めを胸に試合に臨んでいました。チームの一員として自分のプレーに責任を持たなければいけない、チームの流れや勢いや士気を削ぐようなプレーは絶対にしてはいけないという大切な教えです。
今、先輩は神戸市のとある小学校で校長先生をされています。もう久しくお会いしていませんが、自分が"プリ"したなあと感じる時には、先輩のことを思い出します。
人生はプリの連続です。プリを重ねた数だけ、人間も深く、広くなっていくのだと思います。目先の小さなプリを怖れて逡巡ばかりしていると、やがて人生を棒に振る程の大きなプリをやらかしてしまう。先輩の教えとはそういうことだったのではないかと感じ入るこの頃です。
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