名言が与えてくれるもの26:満足した豚より不満足なソクラテス
誰もが心に響き、大切にしていることばがあると思います。そのことばを、糧にしたり、戒めにしたり、疲れた肉体とやさぐれた心の回復薬として使っているかもしれません。第26回は、心に響く名言として扱うのが適切なのか疑問を持っている『満足した豚より不満足なソクラテス』です。
誤解を生じ易いことば?
これは、19世紀の英国で活躍した哲学者、ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill 1806/5/20-1873/5/8)が著した『功利主義論』の中の以下の部分を2つにまとめて、格言のように扱われているものです。
この部分だけを切り取って眺めると、ミルは、「人間>豚」「ソクラテス>愚者」の方が価値があると言いたかったのか…… という印象を受けます。利にさとく、安逸な態度に対比して、正義感に溢れ、清廉潔白であることを讃えるような文脈で取り扱われます。
そこに違和感を感じて「俺は豚で結構!」とか「(貧乏でただ議論を繰り返すだけの)ソクラテスなんかより、(豊かで実用的に働いて役立っている)愚者で何が悪い」という反論もできそうです。
ミルはこれに続けて以下のように記述しています。
これは、功利主義、自由論を論じる中で記述されたものです。人間やソクラテスのように、自分以外の別の視点からも考えることができる人間が増えることが、最大多数の人々が円満で豊かな社会生活を基盤になるのだ、という趣旨だったのだと思います。
知の巨人、J.S.ミル
ミルは、思想史に残る重要な論客です。政治哲学や経済思想の分野で数々の功績を残しています。ジェレミ・ベンサム(Jeremy Bentham 1748/2/15- 1832/6/6)が創始したとされる功利主義(utilitarianism)を支持する立場から、より議論を発展させていった思想界の巨人です。
彼の自由についての論考は、自由放任主義者の思想にも、社会民主主義的思想の持ち主にも影響を与えていると言われています。
ゼロ成長論
ミルは「ゼロ成長論」について、論述を残しています。
私は、『脱成長戦略』を個人的テーマとして考えていく中で、吉川洋『人口と日本経済』(中公新書2018)という本に出会いました。その書の『第4章 人間にとって経済とは何か』に、「ゼロ成長論」が触れられています。
ミルは、経済が成長も発展もしない『定常状態(stationary state)』を肯定的に評価したとされています。物質的豊かさ、成長のために、人々が他人を押し退けるような社会が嫌いだ、と言及していたようです。
という記述を残しています。ミルほど極端ではないにせよ、昨今は「経済成長こそが全ての幸福の源泉」という考えを無条件に信奉する人は減っていると感じています。ただ、経済成長なんてどうでもいい、経済成長を諦める、という極端な態度を取る人も少なそうです。社会が経済的に豊かであることは当然実現すべき前提条件であり、誰もが安心して生活を送れる為の経済的条件が確保されている社会であって欲しい、誰もが優劣で疎外されず、個人の自尊心が守られている状態であって欲しい、と望んでいると思うのです。
満ち足りていて、停滞感と閉塞感に包まれた社会も退屈だが、既に豊かさを達成した社会で、もっともっとと頑張り続けることは弊害も生む…… というのが、今の私の気持ちです。『成長』ということばに対する印象は、人によってイメージがわかれます。『成長』をテーマに議論される時、『成長』ということばに対して個人の持つ経験や価値観の微妙な違いが、意見に大きな断絶をもたらしている場面をよくみます。
満足な豚…… でいられる時があってもいいし、いつでも、不満足な人間…… に戻れる機会も確保しておきたい。そんな我がままなことを考えています。
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