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御朱印を再考する〜御朱印のルーツと今こそ見直したい「紙」から「神」への回帰

2019.5.10 WEBメディア『AGLA』掲載

ここ数年、全国の神社仏閣を巡って「御朱印」を集める「御朱印ガール」と呼ばれる女性たちが増えてまいりました。

それに合わせたかのように、女性の目を引く鮮やかなデザインで、社殿や寺社の風物詩が描かれているオリジナルの御朱印帳が授与されるようにもなりましたし、雑貨店や文具店などの御朱印帳コーナーには数多くの種類が並んでいて非常に賑やかです。

「人生を変えるのは"パワースポット"ではなく、自分自身!パワースポットを訪れる前に考えるべきこと」という記事の内容とも重なるのですが、この「御朱印」も本来の意味するところとは離れて、商材化されている側面があったり、スタンプラリー化・コレクションアイテム化してしまっていたり...「御朱印集め」というワードを聞く度に違和感を感じざるを得なかったりします。

浅草寺の御朱印

浅草寺で御朱印を頂くと、以下のような文章の書かれた紙を一緒に渡されるのだそうです。

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ご朱印について

この頃、神社仏閣に参拝され「ご朱印」を受ける方が大変多くなっております。

これは「ご納経(のうきょう)」とも呼ばれ、その由来は参詣者がお経を書写して寺社に「お納め」することに始まっております。ですから昔は納経帳の右肩の所に「奉納大乗経典(ほうのうだいじょうきょうてん)」と書かれておりました。現在は「奉拝(ほうはい)」という文字となっています。

いつの頃か、この作法が簡略化されて、お写経を納めなくとも参詣の証しとして「ご判」を頂くことになって今日に及んでおります。そして各霊場を巡拝する「巡礼(じゅんれい)」信仰と結びついて盛んになりました。これは観音三十三札所あるいは四国八十八ヶ所を巡礼し、その全部の霊場から「ご判」を頂くと、その功徳によって地獄には堕ちないばかりか、所願も成就するという古来の信仰に基づいているものです。

このような本義から申しますと、お経も書写せず、あるいはお堂に入ってお参りもしないで、ただご朱印だけを集めて歩くということでは、本来の尊い意義を無視してしまうことになり、あるべき姿から離れてしまいます。少なくとも『般若心経』」一巻または『観音経』偈文(げもん)などを書写なさるか、ご宝前で読誦されるなどして、その後に「ご朱印」をお受けになるようにして頂きたいものです。

金龍山 浅草寺

この切実なメッセージをお読みになって如何でしょうか。

神社仏閣側からすると、「御朱印集め」を趣味とする方が増え、同時に寺社を訪れる参拝者も増えることは喜ばしいこととは思いますが、「御朱印」自体が寺社を訪れる目的そのものになり、それが現代人の収集癖を満足させる趣味と化し、その寺社の歴史や謂れや価値がどこか脇に追いやられてしまうのは何とも虚しい現実だと言わざるを得ないのではないでしょうか。

御朱印の起源

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六十六部廻国聖

浅草寺からの文書にも書かれていますが、そもそも「御朱印」の起源は「納経帳」にありました。「納経」とは書写した経文を寺社に奉納することで、奉納先の寺社からは経文の請取状が発行されました。

江戸時代になると個人が携行している「納経帳」に記帳押印してもらう方法に変わっていった様です。

初期大乗仏教の教典である「法華経」を六十六部書き写し、日本全国六十六国(奈良時代から明治時代初期までの日本の地方行政区分)の、それぞれの国を代表する寺社1ヶ所に「法華経」一部を奉納する行者達を六十六部廻国聖(ろくじゅうろくぶかいこくひじり)といいました。

【*】よく御朱印帳は「寺用」と「神社用」を分けた方が良いという話を伺うこともありますが、元来この御朱印のルーツである「六十六部廻国行」は寺と神社が混在する形で参拝し納経していました。こういう点からも御朱印帳を「寺用」「神社用」と分けなければならないという明確な根拠はないに等しいものです。根拠を挙げるとするならば明治の神仏分離令の影響があると思われます。「寺」と「神社」の御朱印の混在を禁止するところもありますので、御朱印を頂きたいと思われる寺社の決まりに習うのも一つの手段でしょう。 「六十六部廻国とその巡礼地

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法華経経典

この六十六部廻国聖が「法華経」一部を奉納した際に、受取の証として寺社より発行されていたのが「納経請取状(のうきょううけとりじょう)」でした。

つまり「御朱印」の起源は江戸時代以降の記帳押印タイプの「納経帳」にあり、記帳押印タイプの「納経帳」の起源は六十六部廻国聖に対して寺社より発行されていた「納経請取状」にあるというわけです。

八巻、二十八章からなり69,384文字あるといわれる「法華経」を六十六部書写することも大変な労苦を要することだったと思いますが、六十六部廻国巡礼が盛んだった時代(室町時代など)に全国津々浦々の一宮や国分寺を歩いて巡礼することは至難の業だったと思われます。

巡礼の途で病に伏して亡くなったり、無事に廻国行を終え結縁(けちえん)叶った行者を供養するための「大乗妙典六十六部廻国供養塔」(*大乗妙典とは法華経のことです)などと刻まれた石碑や供養塔が全国に見られます。お住まいの地域や、旅先でこうした供養塔に出会うことがあるかもしれません。

「納経」とは書写した経文を寺社に奉納することでしたが、時代と共に簡略化されていき、仏前で経巻を読誦(どくじゅ)することも「納経」の範疇となっていきます。

これが四国八十八ヶ所霊場巡りのお遍路に繋がります(現在の八十八ヶ所巡りでも読誦する場合もあれば、写経した経文を奉納する場合もあります)。また摺経(すりきょう)や納経札を奉納することもありました。

時代と共に簡略化されていくのは「納経」の手法そのものであって、諸国を自らの足で廻る巡礼、巡拝そのものではありません。

自らの身体を酷使して、この世の天下泰平と安寧、また来世での安穏を祈願することにこそ意味があり、それが仏陀の教えと縁を結ぶ尊い行為だったのでしょう。

当時は阿弥陀像を納めた長方形の龕(仏像をおさめる厨子のこと。読み方は"がん")を背負って巡礼をしており、まさに巡礼は苦行そのものであったはずです。

御朱印をいただく前に

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「御朱印」の起源を多少なりとも紐解いてみますと、利己的な現世利益にばかり力点を置いたパワースポット巡りの副産物としての「御朱印集め」や、趣味としてのスタンプラリー的な「御朱印集め」という行為が、どこか本末転倒であるような気持ちになられるのではないでしょうか。

元号が改まった「令和」元年五月一日の日付の入った御朱印を授与いただくために、各地の神社仏閣には長蛇の列が出来ました。そこで授与された御朱印がメルカリなどのオークションサイトで高額転売されたり、はたまたSNSなどでコレクションを披露するかのごとく御朱印があたかも商品のように"陳列"されているのを見ると、非常に悲しい気持ちになってしまうのです。

とかく現代は「神」ならぬ「紙」を崇め、価値を置く世の中です。「お金(経済)」然り、「婚姻届(結婚)」然り、「御朱印」然り。

「紙」を重視する世の中から、「神」つまり自分の心や自然に宿る「神性」に価値を置く世の中になっていかなければならないのではないでしょうか。

参拝した寺社の歴史に思いを馳せ、それを取り囲む自然の息吹に身も心も任せ、そこにおられる神仏に畏敬の念を持って向き合う、そしてそこをかつて様々な思いを持って訪れた六十六部のような行者の思いや足跡にも向き合ってこそ「御朱印」を頂く価値があると思うのです。


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