山をくだり、田を駆ける農耕の守護神「狐」-『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第四回)』
「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。
またの名を「使わしめ」ともいいます。
『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。
動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。
『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』
第四回の神使は「狐」です。
神使、眷属としては最もポピュラーな存在かもしれませんね。
「狐」といえば、稲荷神社が真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか?
よく、皆さんから「稲荷神社は怖くないですか?」というご質問を受けます。
朱色の鳥居を見ただけで、近寄りたくない、気味が悪いとお感じになられる方がいらっしゃいます。
これは「稲荷神」と、その神使、眷属である「狐」とが混同されてしまっているということも、一因なのかもしれません。
またネットなどで検索をすると、稲荷神社の怖さばかりを助長するコラム記事を数多く見かけます。そこには、「お礼参りをしないと祟られる」などといったことが書かれています。
私自身の見解を申し上げますと、その理論でいえば、稲荷神社だけではなく、全ての神社、全てのご祭神、全ての神使、眷属が、そのような「怖さ」という側面を持っているということが言えると思います。
神社というのは、本来は怖いところでもあるのは当然です。古の人々は、そうしたある部分での「怖さ」を知っていたからこそ、そこに在る存在を神として崇め、敬い、その力を借りて、自分たちの生活や、生業を守って欲しいと願いを立てたのです。
その神に対峙し、心を寄せずして、ただ恐れるのは、かえって失礼です。
その中でも、稲荷社の神使である狐は、非常に人間に近い感性を持っています。お腹も空けば、喜びも、悲しみも、怒りもする。人から願いを立てられれば、それを叶えてあげようともしますし、感謝がないと腹も立てます。
稲荷社に限ったことではなく、神社との関わりというのは、何か崇高な力、見えない力を求めて、すがるというよりは、人と人との付き合い方と同じであると想定することが大事です。人に対して失礼なことは、神様や、神使、眷属にとっても失礼なことなのですから。
一番残酷で、無礼で、怖いのは、私たち人間の方。
ただ、「怖い」といって恐れるばかりの人間を、神や神使、眷属は逆に「怖い」といって恐れているのかもしれません。
神使「狐」
神使としての「狐」といえば、真っ先に思い出されるのが京都の「伏見稲荷大社」です。
山の神・田の神
伏見稲荷大社のご祭神である「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」は、食物を司る神「御饌津神(みけつかみ)」の別名を持っています。狐の古名が「けつ」ということから「三狐神(みけつかみ)」ともいわれるようになり、次第に稲荷神(宇迦之御魂神)の神使とみなされるようになります。
日本では古来から「山の神・田の神」の信仰がありました。春の暖かい時期になると「山の神」が里へ降りて来て「田の神」になり、稲の生育を見守り、豊穣をもたらします。そして無事に稲の収穫が終わる秋になると「田の神」は再び山へ帰って「山の神」になります。
こうした山から里へ、里から山へという動きが、狐に見立てられたのです。
狐の尻尾
狐が稲荷神の使いとみなされた一つの要因として、狐の尻尾が収穫間際のたわわに実った黄金色の稲穂に似ていることが挙げられます。
食べ物を求めて山から降りて来た狸を、市街地で目撃することがありますが、狐を目撃することはほとんどありません。それだけ狐の個体数は減少しているのでしょう。
しかし、かつては日本中に野生の狐が分布し、人家付近にも頻繁に現れ、人々と狐は非常に近しい関係を保っていたのかもしれません。その中で、人々は狐の素早い動き、甲高い鳴き声、眼光の力強さに神秘性を感じ、畏怖を抱き、野生の動物以上の「何か」を狐に見出したのではないでしょうか。
また狐は、里に降りて野ネズミや、野ウサギといった農業にとっては害獣となる動物を食べる習性があるため、狐を農耕神の使いとして崇めたという経緯もあったようです。
命婦社
「稲荷」といえば「狐」、だから稲荷神社に祀られているのは「狐」である。と信じておられる方は非常に多いものです。しかし、冒頭でも申し上げているように「稲荷社」に祀られているのは、「宇迦之御魂神」です。
「宇迦之御魂神」は、時に老翁として描かれ、時に美しい女神として描かれることもあります。また神仏習合の時代は、白狐にまたがった密教の仏である、荼枳尼天と同一視されていました。
狐はあくまでも稲荷神の使い、神使、眷属に他なりません。ですので「稲荷社」の社殿には、狐が祀られることはないのです。
しかし、例外もあります。神使、眷属である狐が、神として祀られている社があります。
それが伏見稲荷大社の本殿裏、奥宮の側に鎮座する「白狐社(命婦社)」です。
「命婦」とは、稲荷神に仕える年老いた雌狐を指します。また、律令制化の日本において、朝廷に仕える官位(従五位下以上)の名称でもあります。
ここ「白狐社(命婦社)」に祀られているのは、「命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)」。
弘仁年間(810〜824年)の頃、平安京の船岡山に棲む年老いた夫婦の白狐が、「私たちが授かった霊智を人々の役に立てたい」と稲荷山の稲荷神に祈願したところ、願い叶って稲荷神の眷属となることができました(五匹の子狐が一緒だったという説も)。
雄狐は「小薄(おすすき)」の名を授かって上社(一ノ峰)へ、雌狐は「阿古町(あこまち)」の名を授かって下社(三ノ峰)へ仕えることとなります。
この夫婦狐は以降、伏見稲荷の参拝者を守護するとともに、お告げを下すようになったことから「告狐(つげぎつね)」と呼ばれるようになったとか。
そのかつてあった雌狐「阿古町」が仕えた下社が、元禄7年(1694年)に現在の場所に移され、「阿古町」そのものを「命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)」として祀るようになったのが、この「白狐社(命婦社)」です。
佐賀県鹿島市にある「祐徳稲荷神社」にも白狐を祀った「命婦社」があります。
天明8年(1788年)1月30日、京都を大火が襲いました(天明の大火)。京都で発生した史上最大規模の火災は、京都御所や二条城なども焼失させてしまいます。
その火が、花山院邸に燃え移ろうとした時に、白衣の一団が突然現れるや、屋根に登って消火を始めると、火はみるみるうちに鎮火します。
これに喜んだ花山院公はお礼を述べて「どこの者だ」とお尋ねになると、白衣の一団の一人が「肥前の国鹿島の祐徳稲荷神社にご奉仕する者でございます。花山院邸の危難を知り、急ぎ駆けつけお手伝い申し上げただけでございます」と答えました。
「なぜ、御所の火を消さないのだ」と花山院公。
すると一同は、「私達は身分が賤(いや)しく宮中に上がることは出来ません」と言い終わるや、忽然と姿を消してしまったそうです。
花山院内大臣は、ことの次第を光格天皇に言上されると、天皇は白衣の一団に「命婦」の官位を授けます。のちに現在の場所に社殿が建てられ、「命婦大神」として祀られるようになったのでした。
人々を助けたいと願った白狐たち。その尊い思いは、今もこうして「命婦社」として残っています。
狐がくわえているもの
稲荷神社に行くと、境内の狐が様々なものをくわえていることにお気づきかと思います。
これには、どんな意味があるのでしょう?
まずは「稲穂」をくわえる狐。
この「稲穂」は「五穀豊穣」を表しています。
「巻物」は、「知恵」の象徴といわれています。
「鍵」は、稲蔵の鍵を意味しているといわれることから、富と繁栄の象徴とされます。
「玉(宝珠)」は仏教において霊験の象徴とされます。
花火大会などで、「たまやー」「かぎやー」と見物客が威勢よく声をかけることがあります。今ではあまり見なくなった光景です。この「たまやー」「かぎやー」は両方とも花火屋の屋号「玉屋」と「鍵屋」のことです。
古い川柳に「花火やは何れも稲荷の氏子也」という一句があります。
「たまやー」「かぎやー」のかけ声は、花火屋の屋号を意味し、その花火屋の屋号は、お狐様がくわえている「玉(宝珠)」と「鍵」が由来だったわけです。
「玉屋」はすでに廃業されていますが、「鍵屋」は今も「宗家花火鍵屋」として、のれんを守っています。
狐の階級
修験者や、オダイといわれるような稲荷信仰の霊能者、またその信者たちの間では、狐にはそれぞれ階級があるとかたく信じられています。さて、どのような階級があるのでしょうか。
いろいろなお狐様
子連れのお狐様、山を駆け下りる躍動感あふれるお狐様、愛嬌のある柔和なお顔のお狐様。
いろんなお狐様がいらっしゃいます。
お狐様も、稲荷神社も、心を込めて向き合えば、怖くはないのです。