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浄化の御神火を作り出す、安産・子育ての守り神「ウ」 - 『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界(第五十三回)』

「神使」「眷属」とは、神の意思(神意)を人々に伝える存在であり、本殿に恭しく祀られるご祭神に成り代わって、直接的に崇敬者、参拝者とコミュニケーションを取り、守護する存在。

またの名を「使わしめ」ともいいます。

『神々の意思を伝える動物たち 〜神使・眷属の世界』では、神の使いとしての動物だけでなく、神社仏閣に深い関わりのある動物や、架空の生物までをご紹介します。

動物を通して、神社仏閣の新たなる魅力に気付き、参拝時の楽しみとしていただけたら幸いです。



鵜飼の源流

長良川の鵜飼

今回ご紹介する神使は「ウ(鵜)」です。

ウといえば、皆さんが想像するのは長良川の鵜飼のウではないでしょうか。

日本国内で繁殖しているウには、「ウミウ(海鵜)」「カワウ(川鵜)」「ヒメウ(姫鵜)」「チシマウガラス(千島鵜鴉)」の4種があります。

鵜飼では、体が大きくて丈夫な野生のウミウを捕獲、飼育して使います。

ウミウ

鵜飼の歴史は古く、その記述は『日本書紀』や『古事記』にも見られます。

以下に『日本書紀』の一節をご紹介しましょう。

及緣水西行、亦有作梁取魚者。梁、此云揶奈。天皇問之、對曰「臣是苞苴擔之子。」苞苴擔、此云珥倍毛菟。此則阿太養鸕部始祖也。

(現代語訳)
川に沿って西においでになると、梁(やな)を設けて漁をする者があった。天皇が問われると「私は苞苴担之子(ニエモツノコ)です」と言った。これは阿陀(あだ)の養鵜部(うかひら)の始祖である。

『日本書紀』巻第三・神武天皇

苞苴担之子は大和国の国津神のお一人です。

苞苴担之子の「苞苴」は、「ほうしょ」とも読み、束ねた藁(わら)の中に魚や果物、野菜といった食品を包んで土産物・贈り物とすることを指し、「苞苴担之子」で「神や天皇への捧げ物を持つ者」という意味となります。

『古事記』では「贄持之子(ニエモツノコ)」という字があてられており、この「贄」もまた、天皇や神様への貢納物を指しています。

こうした謂れの通り、鵜飼による漁で獲れた鮎は、天皇や時の権力者へ献上されて来ました。

阿陀の養鵜部(阿陀之鵜養)の、「阿陀」とは現在の奈良県五條市原町の隣町のことを指していますが、このルーツは鹿児島(薩摩半島)を拠点としていた一族「阿多隼人」に由来するといわれています。

古代、大和国宇智郡(現在の奈良県五條市)一帯に集団で移住した阿多隼人が、薩摩で行っていた鵜飼をこの地にもたらしたと推測されています。

五條市原町には、阿多隼人が信仰していた神々(「阿陀比売神」など四柱)を祀った「阿陀比売神社」が鎮座しています。

カワウ

「鵜呑みにする」という言葉があります。

真偽の定かでない言説などを、いとも容易く信じてしまう意味ですが、この言葉はウが餌となる魚を噛まずに丸呑みしてしまう習性が起源となっています。

鵜飼は、その習性を利用した漁法です。

保渡田古墳群

群馬県高崎市の「保渡田古墳群」からは、頸に紐をまき、嘴には魚をくわえた鵜飼のウを表現した「鵜形埴輪」が発掘されており、少なくとも鵜飼の歴史は5世紀頃に遡ることができます。


気多大社の鵜祭

気多大社(石川県羽咋市)

能登國一宮の「気多大社(けたたいしゃ)」の神使はウです。

毎年12月16日には「鵜祭」が行われています。

この祭りに先立って、七尾市鵜浦町の鹿渡島で生け捕りにした一羽の鵜を、その年の当番である鵜捕部(うとりべ)3人が籠に入れ、2泊3日かけて大社へと運びます。

16日の午前3時、まだ真っ暗なうちに祭典が執り行われます。

神職が祝詞を奏上し、撤饌(神前に捧げられた供物を下げること)が済み、本殿内が灯明の灯りを残して消灯されます。

鵜捕部によって、鵜の入った籠が本殿前方に運び込まれると、「鵜籠を静かにおろし、籠をとりすて、鵜をその所に放てと宣い給う」との言葉のあと、籠の扉が開かれ、鵜は本殿へと放たれます。

このときの鵜の動き、飛んだ場所などによって次の年の吉凶が判断されるのです。

この「鵜祭」には、神代の頃、主祭神の大国主神が初めて七尾市鵜浦町鹿渡島に来着した際に、同地の地主神である御門主比古神(ミカドヌシヒコノカミ)がウを捕獲して献上したことが由来となった説や、料理の神様として知られる櫛八玉神(クシヤタマノカミ)が、ウに姿を変えて、海中の魚を獲り献上したことが由来となった、などの説があるようです。

ウに化身した櫛八玉神に関しては、もう一つ面白い話があります。

海中に潜った櫛八玉神は、魚を獲るのと同時に、海底で赤土を取って来て天八十平瓮(あめのやそびらか)と呼ばれる土器を作り、さらに海藻の茎を刈って来ると、そこから火鑽杵(ひきりぎね)と火鑽臼を作りました。

そこで鑽り出した火を使って、櫛八玉神は料理をし、大国主命へ献上したのです。

火鑽杵と火鑽臼で鑽り出した火は、あらゆるものを浄化する「御神火」とされ、古社で行われる火祭り神事に用いられます(京都・八坂神社の「白朮(をけら)まいり」などが有名)。


熊野大社の鑽火祭

熊野大社・鑽火殿

島根県松江市の「熊野大社」には、この火鑽杵と火鑽臼を納めた「鑽火殿」があります。

11月23日に出雲大社で執り行われる古伝新嘗祭で鑽り出される御神火のために、この鑽火殿に納められた火鑽杵と火鑽臼が出雲大社へと送り出される祭り「鑽火祭(さんかさい)」が毎年10月15日に行われています。

この祭りはとても変わったものです。

出雲大社から熊野大社へと、火鑽杵と火鑽臼を受け取るための使いが出されます。このとき、手土産として大きな長方形の餅が持参されます。

使いの者を迎えるのは、熊野大社の亀太夫と呼ばれる下級神職の者で、持参された餅に対して「色が悪い」「形が悪い」などの難癖をつけて、押し問答をします。その後、餅と交換に、火鑽杵と火鑽臼を渡すのです。


鵜戸神宮

鵜戸神宮(宮崎県日南市)

宮崎県日南市、日向灘に面した断崖に鎮座するのは「鵜戸神宮」。

社殿の建つ巌窟は、豊玉姫がこの社の主祭神である「日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)」を出産するために、ウの羽を葺いて産屋を作ったといわれる場所です。

以来、子授け、安産、育児の御神徳があるとされ、厚く信仰されています。

豊玉姫が綿津見国へ去るとき、育児のために両乳房をくっつけて行かれたという「お乳岩」が、本殿裏に残っています。

御子である日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊は、この岩からしたたり落ちる「お乳水」で作った「お乳飴」を母乳がわりにして成長されたといいます。


ウと所縁ある神社

気多大社(石川県羽咋市)
熊野大社(島根県松江市)
出雲大社(島根県出雲市)
鵜戸神宮(宮崎県日南市)
御門主比古神社(石川県七尾市)
鵜甘神社(福井県越前市)
白石神社(福井県小浜市)
阿陀比売神社 (奈良県五條市原町)

参考文献

『神道辞典』国学院大学日本文化研究所(編)弘文堂
『神社のどうぶつ図鑑』茂木貞純(監修)二見書房
『神様になった動物たち』戸部民生(著)だいわ文庫
『東京周辺 神社仏閣どうぶつ案内 神使・眷属・ゆかりのいきものを巡る』川野明正(著)メイツ出版

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