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この時期は泉枕の「春に」を思い出す
ども
日野です
まずは報告から。
昨日の記事で話していた我々の小説の置き場所を作りました。
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是非、一度訪れてください。
さて、今日のタイトル回収をしようと思います。
皆さんは泉枕という歌手をご存じでしょうか?
彼女は「さみしくて 流されやすくて そしてちょっぴりエッチで。ラップをしちゃう普通の女の子」だそうです。(wiki参照)
ちょうど僕が高校生ぐらいの時(かれこれ10年以上前)彼女の歌をよく聞いていました。
彼女の書く詩はティーンエイジャーの心を妙に燻るんですよ。
主に女子高生の心境を歌っていることが多いですが、男子諸君もなぜか共感してしまう! そんな中毒性のある歌が多いです。
そんな彼女の作品の一つに「春に」という歌があります。
あしもと濁る薄い花びら 自分を重ねて怖くなったのは
大人が急に「もう子供じゃない」と 選択と決断を僕らに迫った頃
明日目が覚めればネクタイの結び目の仕組みを知る 戸惑いの中 置いてきぼりの春が来る
花が咲き、そして散り、街ゆく人に踏みつけられて濁った花。
そしてその濁った花に自分を重ねる。
春が終わったことに戸惑い、新しい春が来る。
この意味、皆さん分かりますか?
花が散り春が終わる。なぜか?
それは春を売ったからです。
日本には「春を売る」というスラングがありますよね?
そう、売春です。
言葉通りこの歌に出てくる女の子は自分を売ったのかもしれません。
濁った花に自分を重ねるわけですから。
「あー、自分は汚れてしまったのだ」
そう感じたと考えるのが自然です。
しかし、一方で
自分の”初めて”が終わった後も同じような喪失感に襲われたのを皆さんは覚えていますか?
別に好き同士、恋愛の上であってもそれは訪れるものです。
「僕は(私は)大人になったのだ」と。
そしてなぜか昨日までの自分が「愛おしい」のです。
※なので一応好き同士で”いたった”路線でも解釈はできます。
そして明日になればネクタイの結び方を知るわけですよ。
それは一晩を共に過ごした男性が次の日の朝ネクタイを結んで会社に行くからですよね?
彼女は春を失い、戸惑いの中で新しい春の訪れを感じるわけです。
新しい春というのが =売春ではなく
「春がきた」=「恋の季節」と捉えられるのがさらにこの歌の粋な所です。
いや、もしかしたら「次の春を売る準備をしなくては」という意味なのかもしれません。
桜が散り足元に広がる花びらを見下ろこの時期、なぜかこの歌を思い出す日野でございます。
そんじゃ、またね。
あ、今日は生配信お休みです。私用入れやがってふざけんなさはらww
代わりと言ってはなんですが日曜日に普通動画投稿するので是非そちらを見てください。
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