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note感想回想文*わたしを見ないで。じぶんを見つめて

◆はじめに
この記事はわたしがミイコさんの記事を読んで、関連して思ったことを書いた記事であり、正確には感想文ではありません。しかしながら感想のような「わたしのこと」を書いてみたいと思いました。
まずはこちらの記事をお読みください。(21日以降、鍵がかかります)

◆A子のこと

こころの病を抱えているA子から久々に連絡があった。その瞬間わたしの心臓は止まる。
「誰も助けてくれない。PONOも私のこと面倒だと思ってるだろう。死ぬね。今までありがとう。ごめんなさい」
そんなLINEを一晩無視して電話にも出ず、朝、返信した。
「ごめんね。つらいね。どう答えていいか、わからなかった」
彼女はずっと闇を抱えたまま、その闇を他人のせいにしてる。わたしは彼女の連絡に、こころが不感症になってしまったのだろうか。
連絡がある度に1分でも早く、彼女に「わたしはあなたのことを思ってる」と伝えようと努力をしていたことを遠い昔のように思う。
ただ聞くことが必要。心の病には否定やアドバイスは必要ない。
でも強くきっぱり、わたしのこころがA子に言ってる。
「わたしが助けてと言ったら、あなたは助けてくれるの?」

脅迫めいた連絡をわたしがスルーすると、彼女はわたしに怒りを増幅させ、そのエネルギーを自分に向けるのだろうか。
スルーしてしまうわたしは、またひとつ傷をつくる。

◆家族のこと

わたしの母親は地元の名士の娘でお嬢様。
父親は田舎の貧乏な家の長男で、母と結婚したことが唯一の自慢だと今でも言ってる。
そんな両親は政治的な活動家で、一番最初の子どもであるわたしに、正当なことを強制するような、今考えたらたぶん、貧乏で、でもプライドだけは高い生活をしていたのだと思う。

弟たちがグレても、わたしが病気やケガをしても、世間体ばかりで、ちっとも子どものことを見てくれなかったのではないかと疑ってしまう。
迷惑をかけたこと。それが両親を怒らせる。嫌われる。

我慢していい子でいれば、ふたりとも機嫌がいい。
母はずっとじぶんのまわりのことを話し、父は嫌味とも言える冗談を言いながらお酒を飲む。

◆父と母と叔母

父の妹である叔母は、わたしが生まれた頃まだ若くて、もしかすると両親より一緒に遊んでくれた叔母だった。いろんなことがあってそれはここでは書けないが、叔母は両親と同居していた実家で自殺した。

同居中、母と叔母がもめていたことは知っていた。
母は父が何もしてくれないと言っていた。
亡くなったと連絡を受け、実家に行った。
10年ぶりぐらいに家族5人がそろった。
叔母には悪いけど「お母さんは悪くない」とわたしは言った。
今、生きている人を助けるため?
それともじぶんの保身のため?
誰が悪いわけじゃない、その時は考えられなかったことが、今になってわたしの頭の中でぐるぐるまわる。自分自身が考えることをブロックして、防御のために無関心になる。

じぶんにもまわりの人にも、無関心。
「それはわたしの問題じゃない」

◆わたしのことを見ないで。じぶんを見つめて。

親に言えないことをずっと我慢してたんだなと思う。
これからもそうなんだと思うし、ましてやじぶんのことを相談することもないと思う。
夫のことで悩んでいる時、母に相談しても「夫はいい人」
なぜわかってくれないの?とひとり泣いた日々。
わかってもらおうなんて思わない。
そう思うことが、わたしにとっての安心薬だった。
わかってもらってたまるか。
ほっといて。
わたしはわたしが守る。

A子のことで悩んでいるわたしに、メンタルクリニックに勤務してる娘からこの漫画を教えてもらった。

自分しか解決できないことがある。いやそれしかないと思うしかない。「原因自分論」だ。わたしはずっと人に占ってもらうより、じぶんでカードを引いた方が答えが見えると思ってたし、ましてやこころの病院とかカウンセリングとか必要なくて、読んだ本とか見た映画がヒントをくれると。
でも、考えた。
わたしは誰かをわかろうとしていただろうか。
その人の背景を思って、考えていた?

◆見えてない景色

こころに人を入れないことを目標としてきたひきこもり生活。ひとりよがりかもしれないが、ラクなのだ。こころに人を入れたとしても、わたしの世界で登場する脇役の人たち。その人たちはじぶんの世界で悩んだり笑っていたりするだろうけど、わたしの世界には何も関係なくて、その人の背景をわたしの世界で、本を読むように見つめる。
1冊1冊内容は違うし、どんどん新章が追加されて、読み返しても印象が変わる。
だから、見ようとしてなかったことに気づいたら、見つめてみる。
ミイコさんから教わったこの本に、こうあった。

『宇宙一ワクワクするお金の授業』

◆見ようとすること

本は読もうと思わないと読めない。
映像だって、見ようと思わないと脳は認識してくれない。見えてないものは脳にとって「ないもの」
だったらじぶんの中にあるものを見つめて、「あるもの」にしていきたい。正しい判断をしなくていい。
「わたしを見ないで」と、事あるごとに思っていたのは、反面「わたしを見て」と親に思っていた小さいわたしがいたんだな。

◆あとがき

過去の記事を読み返すことが苦痛になってきた(笑)このごろ。イタいじぶんを見つめ直して見ようとしていたじぶんを、見つめていく。
ミイコさんもおっしゃる通り「自分が読みたい文章を書く」のが、わたしの信念。
闇も光も、わたしに起こって、わたしが考えてわたしが感じたこと。
感じたことを大事にしていきたいなと、思うこのごろです。

追記:ガン闘病中猫は最近とても元気です。また飼い主の心境変化を書きますね。





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