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ひきこもり日記*○○のために自分を下げない

noteの街を歩いていると、「すごい」な、と思うことに度々出逢う。
「すごい」の中身は、尊敬だったり、わたしにはできないことだったり、コンテストの受賞作品を読んで思ったり。
でもその多くの感情の中身は「嫉妬」だと思う。
あの人はすごいけどわたしは大したことない、と、じぶんを下げてる。
「すごい」と思いながら、もやっとするから、じぶんに聞いてみた。

「なぜ?」

他人を羨ましく感じるのはなぜ?
わたしがそうなったら、うれしい??

「欲しい」と思った瞬間、潜在意識は今「ない」と自覚する。

ほしい=今は「ない」

「すごい」の次にやってくる、もやっと感じた感情を分析してみた。
それはわたしの本当の望み?
わたしがあの人だったら、わたしは満足?
この感情は、じぶんが「ないもの」ばかり見て、「ある」ことに視点を向けてないから、うまれてくるものだと思った。

わたしも飽きずに、誰かやじぶんに向かって、文章を書いている。それを認められてないとでも思った??いつも読んでくれる人がいるから書いているnote。すごくないからやめる?
わたしの中の前提が「ない」まま進むと、地獄を味わう。いつまでたっても満たされない。

感情のコンパスは、時々、望むものと違う方向を指すことがあって、それに流されていくと迷子になる。迷子になるとき感じる感情が、嫌な気分になって教えてくれる。

ノートに『すごい人に、もやっとする』ことを中心にしたマインドマップを書いたら、出るわ出るわ、わたしのブラックな感情w
そして行き着いた先は『わたしはわたしと戦う』だった。
わたしの中のじぶんを見下す別の自分と、たたかう。
あるがままの自分がいいかどうかは別にして、そんなじぶんをなだめて、認めて許して、隙あらば褒めてみる。
わたしは親にあまり褒めてもらえなかったからか、じぶんも、ムスメたちや他人を褒めることがヘタだ。おだてるわけじゃなくて、心からその行動を誉めることを、やってみよう。やってみたい。

「ある」ことが当然で、感謝すら忘れてる太陽や月や空気や水のように、「ある」を味わう。わたしはもってる。

そんなこと考えてたら、とり子さんに紹介していただきました。

いつか大切な何かを取り戻したい、と思っても、どこかのなにかの退化なのか、それとももしかしたら「忘れる」進化なのか、言い訳をして素直に取り戻せなかったり、これが今の自分だから、と飲み込んだり。
大切なことをもう一度思い出して、どうして脱ぎ捨てたのか立ち返って、取り戻してもいいし、部分的に拾ってもいいし。と最近本当によく思います。

[読書記録]宇宙一ワクワクするお金の授業(大石洋子) / 心理のお話|とり子さんの記事より

下げてる行為は、大切なことを見失ってるんだろうなと思いました。

わたしは「○○のためにじぶんを下げない」
○○の中は、自由、豊かさ、自分、お金、家族…なんでもいい。それは無限にある。その時に感じる感情に合わせて、「じぶんを下げない」ことをやっていると、人からも「見下される」なんてことはなくなると思う。

恥かいていいから、やってみたことや、やらかしたこととか、思い悩んでじぶんを下げないで、鈍感に、じぶんとたたかおうと、決めてみた昼下がり。
ひきこもりはもっと内側にひきこもろうと思いました、まる。



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