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教育と学び その2
教えられることに学びはなく、出来事に学ぶ。
中学2年生の時だったと思います。数学の授業で、女性の数学専門の教師でした。
彼女が授業の中で、「2つの方向から丸く見えるものは、球体です。」と教えてくれました。しかし、自分は納得できませんでした。その場で反論するべきか、授業とは別の時間に反論すべきかを迷い、その場で、「後で反論」と決めました。
自宅に帰ってから、ケント紙を丸めてパイプを作り、パイプを直径の長さで切ったものを2つ作り、2つを交差する形で余分な場所を切り取り、その2つの輪を、セメダインで繋いで、縦横2つの方向から見ると丸くみえ、上から見ると正方形に面の接続箇所がバッテンに見える立体を作りました。先生の仰ったことはこの時点で間違っていることを確認しました。
後日、この作ったものを持って職員室に行き、その数学の先生に、先生の仰ったことが間違っていると説明しました。その時の先生の対応について全く記憶がないので、意味のある対応はなかったものと思います。
後日、階段で、この先生が他の先生と並んで降りてくる場面に自分が遭遇しました。その時、その先生が他の先生に、「この子は変わっているの」と説明していたのが聞こえました。
その言葉の真の意味は今でもよくわかりませんが、自分は「変わっている」というのは褒め言葉だと思い、嬉しい気持ちになり、その先生を「やっぱり好きな先生だ」と分類していました。
しかし、「変わっている」という表現には、在る意味で先生が自分の負けを認め、そして自分の間違いを指摘されたことの困惑が同時に含まれていたように感じ、授業中の話題にしなかった事を良かったと思いました。
「どんな馬鹿でも、あら探しをしたり、難くせをつけたり、苦情を言ったりできる。そしてたいていの馬鹿がそれをやる。」
ベンジャミン・フランクリン
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