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2022年の読書振り返り

今日で2022年も最後の日。
今年、自分が注力したことの一つが読書。
4月頃から読書ノートでの記録を、6月頃からアプリでの読書管理を始めた。

せっかく記録をつけ始めたので、今年特に心に残った本をテーマごとに振り返ることとしたい。

色褪せない名作編

『月と6ペンス』(サマセット・モーム)

因習的なロンドンでの生活から、自身の本来あるべき姿を求めて、原始的で官能的なタヒチへと生きる場を探し続けるストリックランドという男の物語を第三者視点から伝える作品。

ストリックランドは、人から様々な評価を与えられる。ある者からは嫌悪感を、ある者からは好意を。
だが、そうした評価など全く意に介さずに、むしろ自身を型にはめることを拒否し、自由になろうと必死にもがいている。

成熟した社会の中では、規則や常識といった規範といったものにどうしても縛られる。
豊かになったがゆえに、様々な縛りに囚われ、行動がとりづらくなってしまう現代社会への問いかけとも受け取れた。

『砂の女』(阿部公房)

ずっと読みたかったが敬遠していた作品。
設定は現実離れしている。
ふとしたことから砂の中にとらわれてしまう男と、砂の中でこれまで一生を過ごしてきた女という設定。

砂の中は、物質的な豊かさはなく、すべての面において不自由である。
しかし、砂の中で暮らす女は、生活に不満を募らせることはなく、現状に満足している様子。

本作を読んでいて「自由」に対する捉え方が変わったように思う。
確かに、「自由」や「希望」といった概念は、無条件でポジティヴなものとして捉えてしまう。
しかし、「自由」であることは本当にポジティヴに捉えてもいいのか?と考え直す。

男が自由になって元の生活に戻ったところで、家族とのかかわりや仕事での人間関係など、また別のしがらみの中に戻るだけである。
確かに、物質的潤沢さは保証されるにしても、それで本当に自由だと手放しで喜べるのか。

この作品が1950年代に執筆されたことは、西洋化が加速し、資本主義社会に傾倒していく戦後日本への警鐘と感じてしまった。

『海と毒薬』(遠藤周作)

第二次世界大戦中に日本で行われた米国兵への人体実験を題材とした作品。

どこか日本人としての特性というものを感じずにはいられなかった。
世間評や社会といった外的な自分ではコントロールできない声について恐れを感じる一方で、周りの空気や上司からの無言の圧力には従ってしまう日本人としての気質。

「良心」による判断ができないほど、自身が麻痺してしまうのは、組織に従順な日本人ならでは。
作中で対比的に描かれるのは、上司の妻(ドイツ人)が献身的に看護する姿であったり、ダメなものはNOと突きつける強さであったり。

これは戒め的な作品というだけではなく、時代が時代、環境が環境であれば、誰もが当事者となりうる土壌がどこにでもあるのだ、という示唆的な側面もある作品だと思う。

俺もお前もこんな時代のこんな医学部にいたから捕虜を解剖しただけや。俺たちを罰する連中かて同じ立場に置かれたら、どうなったかわからんぜ。世間の罰など、まずまず、そんなもんや
『海と毒薬』(195頁)

エッセイ編

『羊飼いの暮らし』(ジェイムズ・リーバンクス)

いろんな意味で今年一番印象深い作品となった。
noteの読書感想文で賞を受賞した作品。

羊飼いが暮らす社会は、独特な社会だ。
頭がいいことや金を持っていることが偉いという、現代の資本主義や個人主義的思想とは全く異なる文化・社会がある。
重視されるのは、短期的な利益の最大化ではなく、誠実な人間としての名声や評判。
それが、過去と現在そして未来へと互いに重なり合い複雑に絡み合う。
ある種、極限の平等主義社会とも言える。

この社会が、今の自分の生活に何か活かせるのか、と読みながら思案していた。だが、この作品で一貫して触れられているのが、「大事なものは何か」という問いかけ。
それが本作では、伝統や家族の関係性など様々触れられているところ、私にとって大事なものは何か、そのルーツ性について思い返すことができた。

『天然日和』(石田ゆり子)

ここまで挙げた作品の中だと少し毛色が変わる柔らかい作品。
楽しいことがあったとき、悲しいことがあったとき、その時々の自身の心・気持ちの移り変わりを、気取らない優しい言葉で書いており、それが自分に染み入った。

スランプの報酬は、「自分とちゃんと向き合った自分」になっているということ。前より、自分と仲良くなっているということ。
『天然日和』(31頁)

芸能人の方でこういった書き方をするのをあまり目にしたことがなく、肩肘張らずに読める感じ。
他の作品をまだ読んだことがないので、来年は読んでみようと思う。

管理社会がテーマの作品

今年は、「管理社会」をテーマとした作品を読む機会が非常に多かった。

おそらくそれは、自分が興味ある分野だからだと思うが、どんどんと関連する本が溜まっていく。その中からよかった作品を触れていく。

『閉じこもるインターネット』(イーライ・パリサー)

私たちが情報を得るときは、ほとんどの場合でインターネットを利用している。だが、そこで得られる情報は、自身の検索傾向や購買履歴に縛られていることも多く、選択機会が限定されている。
そんな傾向があることを認識して、自分たちで選択・判断することのできる力を養う必要がありますよ、という作品(超意訳)

確かにAIやフィルタリングに身を任せることは楽だが、そうすることで第三者に判断を無条件にゆだねてしまうことにも繋がりかねない。特に政治的なプロパガンダに利用されないとも限られない。
将来的なことも見据え、自分への警鐘として捉えられた作品だった。

『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング)

無人島に漂着した少年たちの島での無秩序な生活を描いた作品。
助かるために狼煙の管理と食料の調達の二つを生活の軸に沿える彼ら。だが、そのいずれもままならない。片や理性的・秩序だった生活を求める一方、片や野性的な本能的な行為に回帰していく。

なぜ、助け合い生還に向けた協力がされないのか、と思う一方、漂着した個々の性格を把握することなく、プライドや偏見に妄執してしまう中では、秩序立った生活を過ごすことはできないよな、、と納得できる作品だった。

この作品の対比として、『十五少年漂流記』(ヴェルヌ)を読むと、あまりにも正反対すぎて、逆に感動を覚えてしまった。

近年の話題作

『正欲』(朝井リョウ)

実は朝井さんの作品を読むのはこれが初。読む前は、大衆受けしやすいような作品が多いのかな、という印象だったものの、読んでみると重かった。

自分のことを理解できるのは結局自分だけ。社会に理解を求めようとしても、理解し得るような素地がなければ、異端として排除されてしまうもの。理解しえない人が、これは正しい、これは正しくないと判断してしまうことも多く、その判断によって「あるべきもの」の姿が整えられていく。

これは作中で触れられている「欲求」についてだけではなく、「趣味嗜好」「思想」全般に言えることだろう。

まともって不安なんだ。正解の中にいるって怖いんだ。この世なんてわからないことだらけだ。だけど、まとも側の岸に居続けるには、わからないということを明かしてはならない。
『正欲』(325頁)

作中でおわりに述べられる言葉。この言葉は重い。

『同志少女よ、敵を撃て』(逢坂冬馬)

2022年の本屋大賞受賞作。
戦争に駆り出されることとなったロシア人の狙撃兵少女の物語。
戦地行くのは年端もいかない若い娘たち。
第二次世界大戦で戦地に赴いたのは、ロシア国だけ。

銃を手にしている時は歴戦の勇者に見えるが、喜ぶ姿はまるで普通の可愛い少女。
本来であれば学校に行き、普通の生活をしているはずだった少女たちが、なぜ戦争に巻き込まれてなくてはいけないのか。
そして、戦争が終わった後に彼女たちは普通の生活に戻ることができるのか。
奪われることが常で、得るものが限りなく少ない環境で、彼女たちは何を思うのか。

同時期に『戦争は女の顔をしていない』(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ)を読んだこともあり、この異常さがわかる作品だった。
現在の世界情勢下もあり、読んでおいてよかった作品だった。

おわりに

今年印象に残った作品9作を振り返った。
もちろん読んだ作品でもっと紹介したいものはあるが、ひとまずここまで。

今年前半は小説や話題作を、後半は古典文学や一度は読んでおいた方が良いだろう有名作品を多く読んだ一年だった。

来年は広く読み進めつつ、より深堀りした読書をしていきたい。
そして興味関心の湧いてきた人文系の知識を身に着けていきたいところ。
問題は時間を作り出すことができるか。

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今年も一年お世話になりました。
来年も引き続きよろしくお願いします。

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