見出し画像

【読書感想】“標”としての背中(『羊飼いの暮らし』(ジェイムズ・リーバンクス)から)


「#読書の秋2022」と称して、noteが読書感想コンテストを開催している。
課題図書を眺めた際、特に惹かれたのが本作品だった。
「羊飼い」の題名だけを見て、その脳裏に浮かぶのは、アルプスでブランコに乗る赤い服を着た少女。
本作は、最近よく聞く「丁寧な暮らし」を体現した作品なのかと推測する。
 

作者情報や書籍紹介を見ると、イギリスの湖水地方で羊飼いを生業とする著者の生活や生い立ちをつづったものだという。
 
――湖水地方
ここから連想されるのはビアトリクス・ポター。あのピーターラビットの生みの親として知られる人物。
これを聞くとますます、「雄大な自然の中で、羊と共に過ごす作者の物語。癒しとして楽しめるノンフィクション作品か」と早合点する。
 

そして読む。
手を止めずに読み進める。
というよりも、読み進めてしまう。
軽く読めるという意味ではなく、次第に引き込まれてしまう内容だった。
 
読後の感想は、いろいろと思うことがありすぎた。
「この作品がどんな作品ですか?」と聞かれたら、答えに盛り込む要素が多すぎて返答に困ってしまうから。
 
資本主義社会の到来が、伝統的な牧畜のスタイルを浸蝕し始めていることに対する警鐘と受け取ることもできる。
先祖代々にわたって、同じ職業を継続させ、継続させることによって成果をなすことを肯定的に発信したメッセージとも受け取れる。
もちろん、自然の中で暮らす作者の生活から縁遠い、日本の都市部に住む読者(私含め)に違う世界を見せてくれる作品とも言えるだろう。
 
様々な見方・受けとり方をすることができる。
なかでも、私が一番惹かれたことは、
先祖代々600年にわたって牧畜を営む作者の家族の繋がり
についてだった。
 
牧畜を営む共同体で暮らす作者にとって、幼い頃から牧畜に携わることになるのは必然であり、生活の中心に据えられるのは学業ではなく、羊となる。
羊を扱うときに、参考にするのは父であり、祖父であり、祖父以前に長きにわたって続く血でもある。

羊飼いとしての信頼

作中において、羊飼いの行動規範には暗黙の了解があると記されている。
現代の資本主義社会においては重視されがちな「利益の最大化」よりも、誠実な人間としての名声や評判の方がずっと大切だという。
隣近所との関係性は特に重要で、時に無理をしてでも隣人の利益となる行動に徹すこともある。
 
利益が上がらなければ、会社が立ちいかなくなる(特に個人事業主にとってはなおさら)可能性もあるにも関わらず、湖水地方ではそれとは異なった社会が存在している。
 
では、その暗黙の了解というのは、どのようにしてファーマーたちが身に着けていくのか。
それは、先輩ファーマーである父や祖父にほかならない。
 
本作では、著者であるジェイムズ・リーバンクスが語り手として、自身から見た父や祖父像が表現されている。
著者は幼い頃から祖父と共に、年中羊を追いかける生活を送っていたと書いている。
 
出てくる祖父とのエピソードは、羊を通じての何気ない祖父と孫との触れ合いのようでありながら、その実、将来、湖水地方の羊飼いの共同体の中で、誠実なファーマーとして一本立ちしてほしいという愛情を感じずにはいられない。
 
湖水地方のファーマーたちの1年は、大まかなルーティンが決まっている。
ただ、ルーティンといえども、何かをおろそかにすると、自身の家族の生計にも影響が出てくるものも多い。

例えば、夏。
この期間は、冬の間に備え、干し草を作って蓄えることが重要だとされる。
干し草を作るには、「晴れの時期に」「草を刈って」「干して」「倉庫に収める」という一連の作業が求められる。
もし干している間に雨が降ってしまえば、干し草となるべきものは腐ってしまい、冬の間に羊に与える飼料はなくなってしまう。
それはつまり、羊の生育にも影響をあたえ、引いては自身の収入にも影響を及ぼすこととなる。
 
干し草作りがうまくいかなかった時の著者の父の背中や言葉。
作中でも、「俺に一生このことを話すな、思い出したくもない」と、父のつぶやきが。
怒るのではなく哀愁漂う姿の方が、接する幼心にも響くものはあるだろう。

一つ動作から、ファーマーとしてやるべきこと、何を回避すべきかといった、羊飼いの社会で生きていく術を学んでいくのだろう。
 
「学ぶ(まなぶ)」という言葉は、「まねぶ」という言葉から来ていると聞いたことがある。
「まねぶ」とは、その字のとおり、真似をすることの意である。
 
作中において、何よりも手本となる父や祖父の背中の姿から学び、一人のファーマーが形成されていくのだろう。

今、私に響くこと

ファーマーの暮らしが現代のわれわれに適合することはあまり多くないだろうが、父や祖父の背中を見て、学び・追いつこうとすることは身近に感じることもあるのではないか。
 
私にとっても祖父は憧れの存在だった。
よく祖父の家にいくと、幼い頃はトランプで、大きくなってからは囲碁で祖父に挑んだ。
祖父の家に行く電車内で図書館から借りた囲碁の本を読み、毎週「ヒカルの碁」のアニメを観て(?)、準備を万全にして。

多少、手を抜いてくれてもよかったと思うのだが、祖父は常に全力で私を負かしに来た。
ほとんど勝てなかった。
私がどうしようと悩んでいると、それをニヤニヤ見ながら「もう降参か?俺に勝つにはまだ早い」と言葉を投げかけてくる。
ちょっと黙っていて、とも言えず、ナメクジに塩をかけたように消沈していく私。
 
そして戦いが終わると、その戦いを一から振り返って感想戦をする。
正直、本から学ぶ知識よりも、向かい合って戦った時間や感想戦でのやりとりから学ぶことの方が多く、今思えば私も祖父の背中から学ぶことが多かったのだと思う。
そして次こそは勝ってやるのだと。

この幼い頃のエピソードが、羊毛を刈るスピードやテクニックを父と張り合っている本作のジェイムズ・リーバンクスと自分とを重ねてしまった。
 
そして何より、祖父は家族を大事にする人だった。
事あるごとに親族みんなで集まる団欒の時間を大事にしていた。記念日の会食、新年の親族旅行など。
それは私の母にも引き継がれ、家族のつながりを大事にする習慣は続いている。
そしていずれは私にも引き継がれていくのだろうと。

おわりに

本作のジェイムズ・リーバンクスが受け継ぐ600年の羊飼いのつながりとはまた違う繋がりだと思うが、国や種族が違えども、受け継がれていくものはあると思う。
そして、それは身近な人の背中を一つの“標”として、自然に身についていくものでもあるだろう。
 
本作を読んで、家族の繋がりを自分に投影し、思いを馳せることとなった。

冒頭にも記したが、本作は読み手によって多様な読みかたができる作品だと思われる。
私の琴線に触れたテーマと、ほかの人の琴線に触れるテーマはおそらく異なる。
その違いを楽しむ意味でもぜひ読んでみることをお勧めしたい。
 
 

この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

この記事が受賞したコンテスト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?