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天国のキミへ

今朝、ふと思いついてツイートしたこれ ↓

結構定期的にこの思いは湧いてくるんだけど
今の時代に小さいお子さんを持つ親御さんは
本当に羨ましいなと思う。

でも逆を言えば、子供にスマホとの付き合い方を
教えなければいけないから大変なのかな。

でもやっぱり、いつでもササっと撮れる手軽さや
どれだけ撮影に失敗しても簡単にやり直せるのは
やっぱり羨ましい気持ちの方が大きいです。

先のツイートにも書いた通り
私の父はカメラが趣味な人だったので
フィルムカメラで娘の小さい頃の写真を
よく撮ってくれていました。

あの時間を巻き戻すことはもう出来ないので
とても有り難い事だと思っています。

ただ、アナログデータなので
それはもう、膨大な量なんですよね。
とてもじゃないけど、ちょっとやそっとの時間では
見返すことは不可能…笑

なので、なんとなく自然と手が伸びたアルバムの
何冊かに目を通してみたのですが…
娘が父親(私の元夫)と写っている写真は
いつも、なんとも言えない気持ちになります。

はたからみれば、よくある親子写真なんです。
でも、このふたりが隣同士に並んで写真を撮ることは
この先もう、二度となくて。

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私の元夫は、今から6年前の春
自らこの世を去っています。
(厳密にいうと、私との婚姻中の出来事ではなく
 再婚相手と仕事との悩みが重なったようでした)

よくもまぁ、可愛い子を遺して…と思いました。

理解することは、今でも出来ていません。
この先もきっと出来ることはないでしょう。

ただ、私自身も精神通院、入院の経験があるため
そうなってしまうメカニズムがあることは
どこか否定できない部分もあります。

でも、やっぱり理解出来ないし
理解してはいけないとも思ってて。

私の元夫は、若い頃は結構なロクデナシで
それはもう、泣かされてきました笑

でも。もし元気であれば、39歳。
何の根拠もないけど、今ならきっと
良き夫、良き父になってたような気がするんです。

なんかうまく言えないのですが
ヤンキーが意外とピュアな心を持ってたりするように
どうしようもないロクデナシだったけど
気持ちは優しい人だったんですよね笑

ま、たらればっていうヤツですけど。

20歳になっても娘と風呂に入るんだ!
なーんて意気込んでたっけ。馬鹿だよね、ホント。
もうあと2年で、20歳になるのにねぇ…
ま、その夢は生きてても叶わなかったと思うけど笑

もちろん今まで楽しいことばかりじゃなかったけど
それでも楽しいことはたくさんあったし
これからもたくさん、希望や展望
可能性だってあるのに…

わざわざ自分から進んでいく価値があるほど
『そこ』はいい場所だったのかしらね。

10枚にも渡る遺書。
その分だけ、生きたかったんだろうな。
弱っちいくせに、元妻である私には
まったくそんな素振りも見せなかった。

死ぬ死ぬと騒ぐ構ってちゃんに限って死にやしない。
逝くひとは、黙って逝ってしまう…
と、良く聞きます。
あれ、本当にその通りだと思います。

…でも、よくよく考えてみたら
自分で自分の未来を葬ってしまうなんて
やっぱり最後までロクデナシだったのかもなぁ。

私は、絶対にその選択だけは取らないな。
娘にとって両親ともに『それ』を選んだら
悲惨なんてもんじゃないし。

いろいろと考えながら
都度選択していかなければならないけど…

悩みや苦しみ、不安は絶えないけれど…
私は私の好きなように生きて幸せになります。
としか言えないし
多分、それが1番の供養な気がします。



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