星山 海琳

▼ 写真 https://www.instagram.com/aiam_marin ▼ オヤトコ発信所 https://ai-am.net ▼ hy.marinn@gmail.com

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    最近の記事

    2020年7月のねこ日記

    1昨夜、台所でかぼちゃを切った。切れ味の衰えた包丁の刃が硬い皮を破ってまな板に叩きつけられる音が、がったん、がったんと家じゅうに響き渡るすぐそばで、吾輩は音の正体をちらりと見ることもせずに眠っている。 二年前、この家にやってきた吾輩がわずかに警戒心をといて姿を隠さなくなってきたころ、それでも人の気配があるとごはんも食べなくて、お水も飲まなくて、トイレにも行かなかった。わたしたちが外出しているあいだや、眠っているあいだに、こっそりと生き、家じゅうを探検して回った。それがだんだ

      • 2020年6月のねこ日記

        1風がぶわーっと吹き抜けると、吾輩はわたしの腕からあわてて出ていく。あわてたわりに、そおっと窓辺に近づき、おそるおそる外を見回している。なにもない。ベランダに置いてある蚊取り線香のにおいが、風にのって部屋へやってくるので、吾輩はますます不思議そうな顔をする。気候が夏めきだしてからもうしばらく経つけど、不思議は去らない。こないだ、今年はじめて冷房をつけたときにも、この子は送風口を見上げて鼻をつきだしていた。風に目を細める。しばらくして吾輩は、これはそういうものか、そういうものだ

        • 2020年5月のねこ日記

          1吾輩はずっとかわいくなる。はじめからかわいかったけど、毎日もっとかわいくなる。わたしの愛情が募るからではなくて(それはそれとして募るけれども)、生きることは、なんだかその生きものの本質へ近づいていくようだと思う。 いま在るものに嘘も本当もないんだが、変化はただの変化なんだが、ときどき、中心というものがあるように感じられる。わたしが自分の中心へ近づいているのかどうかはよくわからない。でも吾輩は、行動や意思の一つひとつが、毎日すこしずつ、あの子自身のものへ変わっている。自分に

          • 2019年6月のベトナム・ホーチミン記

            109番バスのチケット売り場、ATMで下ろしたばかりの高額紙幣を差し出したわたしたちに、女の子は愛想よく笑った。人間も虫もバスへ乗りこんで涼をとる。楽しくやろうとする男たち、陽気なシャツによる決意表明。いちばん後ろの席、終点まで喋りつづける女の子たちのイタリア語。陽に焼けたおじいさんの裸足がぷらぷらと揺れる。 フォー・クイン、交差点の角。街が吸って吐く息。大きなSAIGONの文字を胸に、白い肌を赤く焼いた男性がゆっくりと道路を渡っていく。食後のバイクツアーを売りに来たおじさ

            2019年10月の日記

            2019年10月7日(月)映画館へ行くために車を走らせたとき、いま自分はひとりだと思った。迷いたいから迷う、悩みたいから悩む、でも尽くせるものは思考しかない。川沿いで信号待ちをしていたら、橋から右折してくる車のヘッドライトの光の先端が、わたしの胸の上を旋回していく。そのとき見えるものはなんだ。暗がりにだけ出現する出口、祈りの類の導き、メッセージ。でもそれはまだ読めない。読めないというメッセージ。だから光のかたちを取るのだ。 いいことでも悪いことでも、悩みはすべて「いつまで続

            2019年9月の日記

            2019年9月19日(木)七時半起床、九時に寝床を出る。昨夜、ベッドへ行くと、吾輩が毛布に埋もれていて、起こさないつもりでそーっとおじゃましたら、あんのじょう彼は身体を起こし、顔をのぞきにきて、においをかいで、胸を踏みつけて、それからまた足もとへ戻って、わたしの股の間に身を落ち着けた。クーラーや扇風機の風が、彼にとって寒くないだろうかと心配する季節が過ぎてよかった。 朝ごはんに、つみれと白菜としょうがのスープ。荷物を出しに行ったセブンイレブンで、シュークリームをふたつ買う。