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2019年9月の日記

2019年9月19日(木)

七時半起床、九時に寝床を出る。昨夜、ベッドへ行くと、吾輩が毛布に埋もれていて、起こさないつもりでそーっとおじゃましたら、あんのじょう彼は身体を起こし、顔をのぞきにきて、においをかいで、胸を踏みつけて、それからまた足もとへ戻って、わたしの股の間に身を落ち着けた。クーラーや扇風機の風が、彼にとって寒くないだろうかと心配する季節が過ぎてよかった。

朝ごはんに、つみれと白菜としょうがのスープ。荷物を出しに行ったセブンイレブンで、シュークリームをふたつ買う。お昼にはぶりと大根を炊いて、冷奴にはしょうがを乗せた。窓は全開で、満腹になったカーテンのなかで吾輩がきょとんとしている。友だちの家で過ごした明るい午後を思い出す。あのとき、これは平和すぎると思った。諦めさえ懐かしい生活の片鱗を見るようで、気が遠くなった。今日はあのときの気持ちを笑っている。その日はいつまでもわたしのもとにあるのか?

梨のケーキを焼いた。あると思っていたパウンド型がないから丸型で焼いた。あるもの、あると思っていたもの、ないもの、ないと思っていたもの。友だちとメッセージを送りあうことが心に注ぐ栄養について考える。ほうじ茶は、大きな急須のなかで泳ぐ。夕方には冷たい風。

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2019年9月21日(土)

午前一時すぎに起きて、朝方もういちど寝て、午後二時前に起きた。夜中、吾輩が(夏の)アイツをやっつけた。天才!

朝、兼昼、兼夜ごはんにあさりの酒蒸し。じゃがいもとにんじん、もやしと厚揚げの炊いたん。しいたけの入った味噌汁、白ごはん、山田錦をちょっとだけ。いまよりも先の日について考えてみるたび、わたしはいまが好きだと思う。おやつにどら焼きをはんぶんこする。買ったばかりの白い菊皿で食べた。

食べながらあきこちゃんが言っていたのは、わたしは野菜を食べるのは大好きだけど育てるのは好きじゃない、洋服を着るのは大好きだけど作るのは好きじゃない、だから子どもを後ろから見ているのが楽しかったのかなあ、という話だった。いま、わたしの暮らしはあなたとの暮らしだと思う。わたしとあなたの生活をやりたい。みんなが独りだちをしなければいけないのは、そうでなきゃずっと未熟な子どものままで、一人前じゃないからだ。馬鹿にされて、見下されるからだ。そういうことなら、別にいいだろうな。

京都ではショーン・タン展がはじまってる。東京ではバスキア展。見たいものが見たい、知りたいことが知りたい、かっこいいものをかっこいいと感じたい。恥は恥だと、恐怖は恐怖だと思いたい。今日の吾輩はよくねむってる。

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2019年9月24日(火)

七時半起床。吾輩は高い高いが好きみたい。まだ登ったことのないところを探してる。ぜんぶ登りたいのだ。

チキチキ・家を出るまでに仕事が終わるか・レース、しっぱい。

先週買った木次乳業のみるくジャムがもうすぐなくなる。もう一つ買えばよかったね。代償行為で生きることを認められるなんてばかばかしいと思う。どんなに暇だらけでもそんな暇はない。自分と向き合うっていうのは、どんなことだろう。それは向き合うことか? 向き合ってなにが見えるだろう。ほんとは違うよな。落ちる、眠る、見る、触れる、うーん。解剖する、砂山のなかの捜しもの、泥水に手を突っ込む不快さ、腹をひらく、背中へ迫っていく、うーん。機嫌のわるい舌。

白いTシャツを着た。爪に塗った色がはがれてきた。夕方にはやむ雨。

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2019年9月28日(土)

伸びた髪を刈ったら、服がすてきに見える。爪には深いぬかるみの色を塗る。関空から那覇へ。ゆいレールに乗っているうちに夜になる。


2019年9月29日(日)

上空から燃える灯りが見える。ロンドンの灯りが好きなのは、ロンドンが好きだからだ。東京の道路が好きなのは、東京が好きだからだ。たまにそういうことをやってみる。つまり、ロンドンではない灯りをロンドンの灯りだと思ってみるとか、東京ではない道路を東京の道路だと思ってみるとか。そうすると、景色はとたんに胸に迫る。そしたらわたしは、ほんとうにロンドンが好きなのか、東京が好きなのか、よくわからなくなる。ロンドンはおまえの胸のうちにのみ存在し、東京はおまえの頭でつくられてる。イマジナリーシティ。思いこめば世界は好ましいか。脳に言い聞かせてみれば、ここは海中か。ここはロシアを渡る機内で、ここは時間にあふれた一日で、ここは美術館のカフェで、ここはSF映画の劇中か。おれはそうするべきか?

ワントーンだけ消灯した機内。列島の上空を飛ぶ。雲を縫って行く。遠くへ行きたい人びとのために、ごおごおと燃える。いや、燃えると行くのか。

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