見出し画像

2020年7月のねこ日記

昨夜、台所でかぼちゃを切った。切れ味の衰えた包丁の刃が硬い皮を破ってまな板に叩きつけられる音が、がったん、がったんと家じゅうに響き渡るすぐそばで、吾輩は音の正体をちらりと見ることもせずに眠っている。

二年前、この家にやってきた吾輩がわずかに警戒心をといて姿を隠さなくなってきたころ、それでも人の気配があるとごはんも食べなくて、お水も飲まなくて、トイレにも行かなかった。わたしたちが外出しているあいだや、眠っているあいだに、こっそりと生き、家じゅうを探検して回った。それがだんだん、物音を立てず、くしゃみも喋るのもなし、移動なんてもってのほか、という静けさのなかでなら、吾輩は人がいてもごはんを食べられるようになっていった。

二年が経つと、吾輩は家族が部屋を歩いているときにもごはんをもりもり食べるし、誰かがすぐ近くにいてもさくさくとトイレに行く。はっきりと拗ね、悲しがり、問い、甘える。そうやってわたしたちとの暮らしに安心を得ても、あの子はいまだに世界の微動を見逃さない。わたしはそんな吾輩が今日も恋しい。昨日の続きではなく、毎日淹れるコーヒーが一つひとつ新しいように、わからなくてきれい。あの子に三回目の夏があってよかった。生きていてうれしい。

夕方、日暮れ前、あの子はまだ向こうの部屋で眠っている。わたしの座るこの部屋の窓から吹いた風が、あの子のいる部屋へ抜けていく。


吾輩だと思ったらカーテンのはためきだった。テーブルを挟んだ友だちのぶらつく足が、追い越していくひとの揺れるポシェットが、部屋をよぎる光が、風に運ばれるほこりが。

わたしたちの不自由さが、ねこの動きに偶然性を見せる。名前をつけなければ耐えられないから、気まぐれという言葉に恐怖心を匿う。みじめさの差し出す手から逃れるために、ひとつでも多くの違いを見つけ出す。

誰もわたしのための伝道者ではないが、誰もがメッセージをまとって生きている。わたしのために存在しているものなどひとつもないが、陽光が水面に反射すると、光は手に取れるようになる。

画像1

画像2


午前三時に吾輩がひとりで起きてきた。小食で、小柄な吾輩は、最近になってよく食べるようになった。いっぺんに食べるわけじゃなく、少し食べるのを、何度もやる。こうして寝室からふらりと起きてくるときはたいてい、「一杯引っかける」みたいなノリでちょっとだけ食べる(そしてまたふらふらと寝室に戻っていく)。

ごはん食べる? と聞くと、うーん、と言うのでわたしは吾輩のお皿にごはんを少しだけ盛る。お皿を片手にごはんの置き場へ戻ろうとすると、いつの間にか台所を出たすぐのところに移動していた吾輩が、わたしの目の前で、でろーーんと寝転がった。お皿を吾輩のすぐ横に置く。吾輩をなでる、なでる、なでる。気持ちよさそうにのけぞる。なでる。あるタイミングで、吾輩はくるんっと起き上がり、起き上がったその体勢からダイレクトにごはんを食べだした。
この子はどうしたってかわいい。ごはんを口へ運ぼうとするたびに、お皿とごはんがからんとぶつかって立てる音が聞こえるとき、朝露を発見したときみたいにうれしい。ごはんを噛みくだく音が胸をいっぱいにする。

画像5


あたらしくねこがやってきた。吾輩がやってきたのと同じ7月。あのとき、開いていた窓から風が入りこむように突然うちへきてくれた吾輩と同じように、吾輩の友だちを待っていたわたしたちを追い越す速度でやってきた。

わたしにとっては吾輩がはじめてのねこで、よけいな恐怖や不安を与えてしまったことが、いまならわかる。最初のうちにこうしていればあの子はもっと世界を恐れずにすんだのかも、と、苦しい気持ちになる。
でも、シャーと威嚇するあたらしいこねこを抱っこし(威嚇するくせに抱っこするといやがらなくなるのだな)、眉間をなで、ひとしきりわたしという存在を伝え送りまたケージに戻してやったあと、別の部屋に自主避難した吾輩のもとへ行ったら、ずりずりとこちらへ這ってくること、眉間へ伸ばした手をこわがらないこと、抱きあげるとき身体をだらんと広げていること、顔じゅう撫でまわすわたしの手に目を細めることが、ありがたかった。この子を怖がりにさせたのはわたしたちだろう。とうとうあたらしいねこまで連れて帰ってきたけど、そんな場所でちゃんと安心をしてくれて、いくらかの信頼をして、今日ここにいてくれて、わたしの膝のうえで息をしている。

安心というものは、与えることができないんだろう。個々が得るものだから、得られるように善処することはできても、そのものを与えることはできない。取り除くことも、先回りして道をきれいに整えてやることもできない悲しみや苦しみと同様に。
すべてこの子自身のものだから、祈ることはできても、願うことはできないのだ。だからうれしくて、ありがとうと言う。


すっかり昼夜逆転していたわたしたちの生活は、ふたつ(あたらしいねこの名前)のおかげで半強制的に「夜は電気を消して眠る」ものになった。吾輩がいずれふたつに慣れ、ふたつがケージから出て生き、眠るようになったらこういうサイクルはまた、なし崩しになっていく。でもまだこの子が自由に身動きをとれないうちは、夜はせめてきちんと暗くして、静かにして、この子が眠れるようにわたしたちも眠ることにした。起きているあいだは、ふたつの声に必ず返事をしたけど、夜のうちはすぐに返事をせずに様子を見るようにした。夜中たまに鳴くふたつは、一分もしないうちにまた眠りにつく。

あきちゃんは、心に対して心で触れられるひとなんだろう。夜、電気を消してしばらくして、ふたつがひどく鳴き続けるので目を覚ます。彼女は寝床を出て、ふたつにやさしい声をかける。愛情を波形にしたらきっとあんな声がする。彼女には、待つべき声と待っていてはいけない声が、ちゃんと聴こえるのだった。くやしさとかなしさの違いが、さみしさとたいくつの違いが、甘えと語りの違いが、嫌悪とわからないの違いが、ちゃんと聴こえるのだった。ルールも方法論も飛び越えて、手のひらをあの子が求めたとおりの形に変えて、あの子のさみしい心ごと抱く。

生まれてからずっと、わたしはその手に触れられてきたのだと、そうやって育ち、育てられてきたのだと思うとき、その恵まれた時間、豊かな一日、幸福な瞬間の連なりがわたしのなかで生きていることに気づく。二十年以上を経た今のこの時間さえもが、その幸福に守られているのだとわかる。家庭を変え、街を変え、国を変え、世界を変えていくのは、この時間であり手であり声であり、まなざしであり返事であることが、真実として迫って、わたしの背中を包む。わたしは自分のなかに育まれた豊かさを守りたいと思い、それはどんな生きかたをしてでも、立派ではなくても、ずるくてもいいというこんな夜の自信が、明日も昼の日差しにさらされるわたしを支えていく。

三十分か、四十分くらい、ふたつは彼女の腕に抱かれてくったりと眠ってしまった。一緒になって居眠っていたあきちゃんがふいに目を覚まして、あの子をケージへ連れていく。夜どおしの安心を祈る。明日はまた朝が来る。

画像4

画像4


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?