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2020年6月のねこ日記

風がぶわーっと吹き抜けると、吾輩はわたしの腕からあわてて出ていく。あわてたわりに、そおっと窓辺に近づき、おそるおそる外を見回している。なにもない。ベランダに置いてある蚊取り線香のにおいが、風にのって部屋へやってくるので、吾輩はますます不思議そうな顔をする。気候が夏めきだしてからもうしばらく経つけど、不思議は去らない。こないだ、今年はじめて冷房をつけたときにも、この子は送風口を見上げて鼻をつきだしていた。風に目を細める。しばらくして吾輩は、これはそういうものか、そういうものだな、と見当をつける。

急に大きくなるカーテンは、頭上から吹いてくる冷たい風は、冬の無機質な物体のぬくもりは、あの子のどこに折りたたまれていくのだろう。たくさんのメッセージが、あの子のもとに届く。

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人生初・ものすごい・頭痛に打ちのめされているとき、ドアを開けたままトイレで座りこんでいたら、吾輩が寝室から起きてきて、わたしを伺うように鳴いた。大丈夫というとあの子はちょっと気遣わしげにリビングへ向かっていって、で、すぐにごはんをもりもり食べ(ている音が聞こえてい)た。

しばらくしてトイレを出た先に、手足をたたんで座っている吾輩の姿がある。わたしは待っていてくれてありがとう、気にかけてくれてありがとうと言う。彼女は返事をして、先に廊下を歩いていく。しなやかで凛とした背中。あとを追ったわたしがもう一度リビングで横になるのを、あの子はじっと見つめていた。

吾輩はいつも、起きてほしいひとを起こすとき、何度か鳴いてみて、じっっっと見て、あきらめて去って、数十分後にまた戻って、同じことをする。自分が飽きるか相手が起きるまでやる。身体に乗り上げるとか、くすぐったいほど近づくとかはしない。見ている。じっと見ているあいだ、あの子のなかであの子の思考がぐるぐると渦を巻く。時間があの子の身体を巡り、かわす議論の結末を、透明な目が待っている。


写真には、自分の見たいもの、信じたいものが写る。わたしが撮る吾輩の写真は、どれも夢っぽい。ねこに抱かれているとき、人はねこに抱かれている。この子を抱くときわたしは本当へと近づく。夢、愛おしさ、祈りを宿して目の前にやってくるものの形はひとつではないが、わたしにとってそれがこの子であることがうれしい。
ときどき、なにが足りないわけでもないけどなんとなく足りなくて、吾輩は玄関で鳴く。そのぬくいからだを抱きあげると、あの子は胸に頭をこすりつけて、小さな両手でわたしの腕を抱えこむ。白と黒が同居するからだ、寛容と頑固さが共存する毛並み、そのおなかにわたしの指が置かれているのを見るとき、幻想と現実はおなじベンチに腰かけて、わたしとこの子の座る地面に根をはる。

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