リフレーミングとは 偶然、先輩から教わったこと
リフレーミング。
コップに入った水の例えが有名な心理学の概念。
コップに半分水が入っている事実を見て「半分しか入っていない」と捉えるか「半分も入ってる」と捉えるか。
捉え方次第で同じ事実でも、受ける印象や心に与える影響が大きく違ってくるというやつです。
今までに経験した様々な出来事が原因で、物事を悲観的に捉える癖がついてしまっていたり、病気の症状などが原因で悲観的に捉えがちな時。
そこに気づいて視点を変えることで、苦しさを軽減していけるといいよねっていう考え方。
私は以前、専門家でも何でもない人から、その具体的な方法を教えてもらったことがあります。
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ある日のお昼休み。
公園で少し年上の先輩と、いつものように他愛ないお喋りをしてました。
時おり先輩が口にする今までの経験を聞くだけでも、ずいぶん辛い思いもしただろうことは想像に難くないのに、いつも恵比寿さまのように穏やかにニコニコ笑っている人です。
その時はたまたま二人だったこともあって、話の流れで以前お互いがしていた仕事の話になりました。
先輩の職種が結構な力仕事だったので、「体力的にも相当大変だったでしょう?」って聞いたら、彼は「いやー、よくあんなに何年も続いたもんですよ」っていつものように笑いました。
その時は、私もただ笑顔を返しただけだったと思います。
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でも後日、頑張りすぎて疲れちゃって結構しんどい状態になった時に、ふとその言葉を思い出して考えたんです。
私はそれまで、以前の職場で働き続けることができなかった自分を、心の中でずっと恥じて悔いて責め続けていました。
でも先輩は違う。
「よくあんなに続いたもんですよ」
そう言って穏やかに笑う。
それってまさに、捉え方の違いなんじゃないかと。
私は「自分に働き続けるだけの能力がなかった」と捉える。
先輩は「職場の労働環境が過酷だった」と捉える。
言葉にすればそれだけのことだけど、どちらが自分の心に負担がないかは明白で。
ああ、そっか。
それでいいんだ。
私も胸を張ればいいんだ。
あの忙しい店で何年も必死に頑張ったじゃない。
充分過ぎるほど、身も心もボロボロになるまで頑張ったじゃない。
誰よりも実感を伴ってそれを知ってるのは他ならぬ私自身なのに、それを自分で認めてあげないでどうするのって。
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たった一言。
「よくあんなに続いたもんですよ」
そのたった一言が、私の心をどれだけ軽くして痛みを癒して、私がどれだけ救われたか。
働き続けることができなかった。大好きだった仕事を辞めた。
その事実は変わらない。
変わったのは私の捉え方だけ。
それだけで、心に抱え続けていた重たい荷物がこんなにも軽くなるものかと。
仕事を辞めてすぐの私だったら、そんな風には考えられなかったと思います。
「環境のせいにするのって自分勝手じゃないだろうか」
きっとすぐそんな思考が浮かんでいたでしょう。
今は、その自動思考に言い返せるんです。
「じゃああんたは先輩の努力も否定するの?それとも先輩の方が大変だったって理由をつけて、まだ自分を責め続ける?――もうやめようよ」
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先輩に私の心を救おうなんて気は、まるでなかったと思います。
もしかすると、その言葉の裏には少々自嘲的な意味合いもあったかもしれない。
それでも、私は救われました。勝手に救われたんです。
とても大切なことを教えてくれた先輩には、言葉で言い表せないほど感謝しています。
感謝の気持ちを伝えたいと思ってるけど、私はまたそういうのがとことん苦手で。
でも伝えられたら、きっとまた恵比寿さまのような顔で笑ってくれることでしょう。
だからいつか伝えたらいいなって。そう思ってます。
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