本当の自由ってなあに?ーミヒャエル・エンデ『モモ』を読んでー
なんだか最近目にする機会が多くて、ずっと気になっていた本をついに読み始めた。
ミヒャエル・エンデの『モモ』。
児童文学で、長年愛されていて名作といわれている。色んな人が読んで、心を動かされる所以を知りたいと思って、古本屋で買ってみた。
まだ途中までしか読んでいないけれど、考えさせられることがたくさんあった。「時間」という、当たり前に日常に流れているものを、改めて見つめ直すことができた。
ここから、ちょっとだけ、私が感じたことを書いてみたいと思う。
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まるで、現代社会を映しているようだと思った。
「急がなくちゃ」
とにかく、何かに追われて生きていた気がする。
仕事はもちろん、遊びですらも。
「せっかく時間があるんだから、遊ばないと」
「こんなに時間があるから、ランチして、テレビ見て、どこか行こう」
時間ができれば予定を入れたり、スケジュールを立てることに必死になっていた。でも、これって、ちっとも自由じゃない。結局、遊ぶために時間に追われている。
モモの世界の人々もそうだ。時間を短縮するために、効率よく、無駄をなくす。同じ家を建てて、町を大きくする。とにかく早く。
なんだか、バブルの頃の日本を見ているようだ(私はまだ生まれてないけれど)。というか、今もそうだと思う。資本主義の世界で生きる私たちの本当の姿を見ているようだと思った。
でも、自由って、きっとそうじゃない。そうやって生まれるものじゃない。
なんてことない時間を過ごすこと。何してたんだっけと思い出せないような、名前も付けられないような時間を過ごすこと。
そういう、もったいないなぁって思えるほどの時間。それが贅沢なものだと私は思う。
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今、世界は自由を奪われている。
自由に外に行けない。旅行にも、カラオケにも、食事にも行けない。誰にも会えない。こんな日々が続かない方がいいのはもちろん分かってる。
でも、もしかすると、この「何もできない時間」は、突然手に入れた「自由な時間」なのかもしれない。
だけど、私たちはその使い方が分からない。だって今まで、時間が足りなくなるほど予定を詰め込んで遊んできたから。それが自由だと思っていたから。
だから私たちは今日も、何して過ごそう、どうやって有意義に過ごそうって必死になっている。何かをしないと不安で、心が落ち着かないでいる。
こんな時、何もしないこと、そして、それを不安に思わないで過ごせる力が、この自由な時間を使うために必要な力なのかもしれない。
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何もない場所で生きる人ほど、自由な時間の使い方が上手だと思う。モモの世界でも、何もないからこそ、そこで楽しむための方法を、頭を使って自由な発想で生み出している。
時間をかけて、丁寧にものを作ってみる。それを自分で味わう、楽しむ。風景を眺めて、そこから自分で物語を考えてみる。それを話してみる。
農村や田舎が、スローライフとか、改めて見つめ直されている所以もそこにあると思う。みんな自由な時間の過ごし方が上手なのだ。そして、それはすごく大切なことだと私は思う。だってそれは今の時代に生きる人々が無くしかけているものだから。多分、私たちは自由な時間の使い方が少しへたっぴになってきている。
それと、子どももそういう時間の使い方は上手だと思う。柔軟な発想で、大人が思いもつかないような遊びをどんどん発明してしまう。一日一日を楽しんでいる。だからモモの世界でも、子どもたちだけは時間泥棒に気づいているんだろうな。
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少し話がずれてしまった気がするけれど、これが私が『モモ』を読んで感じたことだ。今だから感じることや、今まで考えていて初めて言葉にできたこともあった。やっぱり、本を読んで、感じて、考えて、こうやって書くって面白い。
私自身、特に働き始めてからは、休日に予定を詰め込んでしまうことが増えてたし、なんとなく充実してるつもりでいることが多くなっていた。
でも、学生の時とか、今のこういう時間とか、自由な時間がたくさんあった時に得たものって、一生の宝物になるものも多くて、やっぱりそういう時間って、本当に大事だったなぁと思う。
何もしないからこそ、考えるし、感じることができる。心にゆとりがないと、見えるものも見えなくなっちゃう。
だから、これからは、そういう一見なくても困らないように思える、そんな時間を、愛おしく大事に守っていきたいな。