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SNS発信:2つの「イキる」




先日質問箱に届いた
SNS発信のハードルに関する質問。


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どこのどなたからなのか、
どういった真意だったのか、
結局いまも分からないままなのですが、
自分なりに整理して考えて、


回答した内容+αを
こちらにまとめておきたいと思います。



なぜSNS発信をするのか、続けるのか?

ユーモラスで知的な寮母さんとのこと、ありがとうございます。とてもうれしいです。そして、ご質問もありがとうございます。SNS問題ですね、これまた長~くなってしまいそう。

さて、最初に。大前提として、SNSで表現することが正しいというわけではないので、苦手だな怖いなという気持ちが強くあるのであれば、無理に発信しなくて平気だと思います。自分の中でだけ表現(鍵付き日記とか)して、発信は別にしないでOKだと思います。でもいただいた質問の感じからすると、「怖いけど表現してみたい」「素直になった先にある何かに辿り着きたい」みたいな発信の一歩手前でウズウズを抱えていらっしゃるのですよね?違ったらごめんだけど、その認識で『SNSで発信しすぎオバさん代表』としてお答えします。

まず、私はSNSで自分の考えを発信しすぎです、うるさすぎ。高校1年のときにmixiやブログを始め、11年の節目でnoteに切り替えました。加えてFacebookやTwitter、Instagramなども使っています。私の周りには、こんなに色んなSNSでうるさい一般ピーポーいないです。でも発信しちゃう。自信があるかと言われたら、私も自分の考えに確証が持てず怖くなることがあります。でもすぐ言葉にまとめたくなっちゃう。理由は複合的で色々あるんですが、大きく2つ。1つは「このご時世で発信しないとかマジもったいない」で、もう1つは「発信し続けると色々ハッピーなこと起きっから」です。



①「時代」に生きるため

〜このご時世で発信しないとかマジもったいない〜

さっき書いたように、表現するのみなら自分だけの日記で十分です。でも誰かに自分の考えを届けたい気持ちが生まれちゃうんですよね、人間だから。これは昔の人たちも一緒で、だから人は鳩にメッセージをつけて伝書鳩として飛ばしたり、電話を発明したり、ファキシミリなんてエモいもん(まぁまだ全然使われてる業界はあるけど)を作ってきたんだと思います。この頭がめちゃくそいい先人たちが開化してきた文明のおかげで、現代を生きる私たちは、いつでもどこでもさくっと手のひらの中でコミュニケーションがとれるようになっちゃったわけです。ただちんたら生きてきただけなのに、気づけば色んなツールが開発されてて、なんか謝謝って感じです。以前noteにも書きましたが、アンネフランクとか、発信したくてもできなかった過去の人たちからしたら、マジ超うらやましい時代の到来です。なので「恩恵にあずからないなんて、もったいない」これが私の背中を押しています。

ただ、MOTTAINAIという理由だけで発信に踏み切るのは、ご質問をくださった今のあなたにはなかなか難しいのですよね、わかります。でも、ビビらないでほしい。なぜなら、あなたが思っているほど(怖がっているほど)、他人はあなたのことを見ていないからです。悲しいけど、嬉しいニュースです!

SNS発信の文脈からはちょっと外れる話に入ります。でも根っこはつながっている話なので、しばしお付き合いください。

突然ですが、私は自分が人を観察するのが好きな分、自分がどう見られるかについても人一倍敏感だという自負があります。社会人一年目のときの私は、『上司』という今までにない関係性の大人にどう見られるのか評価されるのか、すごくビビっていました。与えられた目標に対して、本当に真面目に向き合って、もがいて、もちろん時には「やべっ、ミスった」みたいなことも起きて。で、迎えた評価面談は『みぞさん頑張ってるねー。こんなこともしてくれてたよねー。素晴らしー。おっけーおっけー。』みたいな。ふぁっ?!そんなことしたっけ私?でもなんかおっけーらしい・・・と拍子抜けしつつ、「良くも悪くも自分が思っているほど人は自分のこと細かくは見ていない。なんとなくの姿勢や雰囲気が伝わっていればいいのだ」ということにココで気が付きました。

もちろん長期的に、この先10年間毎日一緒とか、そんくらい密な関係になっていく相手なのであれば、嫌でも細かく見たり見られたりすると思いますが、私と当時の課長はそういうわけではなかったし(翌年課長が変わったwwwけどその後も社内でお会いすると必ず「みぞさん」って声をかけてくれていつも嬉しい)SNS発信にもこれは言えるかと。私の経験上ですが、SNS上で急にそんな距離を詰めて詳しく掘ってくる人はいません。みんな忙しいから、みんなリアルの世界にも人生はあるから、そこまでがっついてきません。単発で何かを発信したところで、正直なにも起きません。ただ、継続的に発信し続けると、楽しいコトは起きます。それが2つ目のやつです。



②「継続性」が活きるため

〜発信し続けると色々ハッピーなことが起きる〜

前述の通り、私はどーでもいいことを、ずっと書き続けてきました。そういやずっと書いてるんだな〜と意識し始めたのは最近の話で(去年、転職活動の中で自分の強みを分析していて。私って色んなことに手を出しすぎていて、どれも中途半端で雑魚じゃん・・・と落ち込むシーンがあり。なんか一つでも続けてこれたことはなかったのかと必死に客観視した結果、「んあ。ブログだけは続けてたwww」となったのでした)それまでは特に何も考えずに、ただただ好きだったので続けてきました。

そして先日、インスタか何かで「mixiの日記を簡単に書籍化してくれるサービスが2020年6月30日に終了します」という投稿を目にしました。え?そもそもそんなサービスあったん?となり、急いで調べてみたら、マジで簡単に作れました。一番安い、ちっちゃいやつを2冊、合わせて送料込みで5000円くらいで作れました。

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当時から改行を意識した日記を書き綴っていたようで、やたら空白の多い記事がたくさんあり、2冊になりました。2008年3月31日の高校1年生前夜から、2012年1月10日の大学1年生の冬までの記録です。

中身はエモすぎて、苦しすぎて、once again エモすぎて、結局全然読み返せていないのですが、絵文字の使い方や、そもそもの使用頻度が減っていく様子から、当時の多感性?成長?が見受けられたのは面白かったな、書籍化してよかったなと思いました。そして先日、この日記を高校時代の友達と一緒に読んでいた時も、「あぁこんなこともあったよねー!」と振り返り、じんわりタイムを共有することができたので、良かったかなと。あと、パラパラとめくっていると、このmixi上でのやりとりをきっかけに仲が深まった別のクラスや高校の子もいたようでした。また、このmixiと並行してブログもつけていた(何をどう使い分けていたのかは謎。相当暇だったのかな)私ですが、そういえば「あのブログの子だよね?いつも読んでます!」と声をかけられたことをきっかけに付き合った元カレがいたことも思い出しました・・・とにかく。書き続けたことでつながった人たちがたくさんいてハッピーな思い出が増えて。書き続けてアーカイブとして残せていたことで未来(要は現在)の自分や周りにちょっとでもハッピーな瞬間や気づきが訪れて。これが、このmixi experienceの継続性から私が得たことでした。

私はプロのライターでもなんでもなく、アフィリエイトとかもよく分からないのでインフルエンサーにもなれないしなりたいとも思わないしで、岸田奈美さんの記事などを読むと「ピェーーーなんて面白い文章を書かれる方なんだーーーゴイゴイスーーー」と自分の稚拙すぎる文章に嫌気が差してきますが、

岸田さんもきっと、「自分が発信する内容は世間にとって何の意味があるのだろう・・・」とか深いことは考えずに、とりあえず発信を楽しんでいるのではないかなと勝手に思っています。もちろん、めちゃめちゃ考え抜かれているシーンもあるとは思うのですが、その先に何があるか(お金とかビジネスとか知名度とか)からの逆算ではなく、その時その時のご自身が置かれた状況を楽しんで書き続けた結果の今なのではないかなと、こちらも勝手ながら考察しています。



全ては己のハピネスのために

またしても全然まとまらなくなってきましたが、「何もビビらなくて大丈夫。それよりもったいない。令和に生きてる喜び感じて楽しんじゃお⭐︎ 私の場合、泥臭く続けた結果、いろんなハッピーなことが訪れてくれたし⭐︎」みたいな感じです。全ては自分を中心とした生活のハピネスのためです。すごい雑なまとめになってしまいました。営業再開が決まった某ネズミランドみ溢れる感じになってしまいました。が、まぁSNSとはそんなテンションで付き合っていけばいっかなって感じです。私の人生、自分の人生、一度きりの人生なので。



質問をくださった方への上手な回答には、
これっぽっちもなっていない気がしてきました。


が、今日は朝10時から頭フル回転。
おちごと頑張ったので許して欲しいです。


お風呂入って寝ます。
Sweet dreams, y’all.









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