私というOL 〜自己紹介note〜
どうやらnoteを始めてから
半年の月日が経過したようで、
まだお会いしたことがない方々にも
足を運んでいただくことが増えたようなので、
いまさらではありますが、
自己紹介noteを書いてみたいと思います。
プロフィール欄には、
とあるのですが、
これを長めの文章にしてみようかと。
コロコロコロナで外にも出れない、
暇だなプゥプゥ何しよう?って人は、
よかったら読んでいってみてください。
と言ったものの・・・
これまでの27年間の何を
どう書き始めればいいのか難しい。
ので、
人生を分解してみることにした。
第一章:オランダにて爆誕(~3歳)
父のヨーロッパ勤務時代にオギャーした私。
『マリ』という響きの由来は、
「外人が発音しやすいように」とのこと。
『茉莉』という漢字の由来は、
「特に意味はない、気持ち」とのこと。
おいおいマジかよ嘘だろ、でも気に入っている。
ちなみに当時のことは、
第二章:翔んで埼玉(~9歳)
帰国という表現が正しいのかは謎ですが、
帰国子女ブランドを背負い、日本は埼玉へ入国。
ユキとかいう最強子分(妹)を引き連れて。
大都会・浦和で、全力で生きていたある日、
父からの「来年からはニューヨーク!」宣告。
Qちゃんと小出監督が金をとった’00夏のこと。
第三章:マジの大都会・NY(~14歳)
半年間の駅前留学のみで、よっしゃ渡米。
平日は現地校、土曜は日本語補習校の日々。
転入当初は、当然、英語も喋れるわけなく。
先に現地に馴染んでいくユキを見て、
悔しさが倍増し、
毎朝「学校行かない!」と泣き散らかした。
それでもベッドから引きずり出され、
夜は遅くまで、母と一緒に宿題をした。
一年くらい経ったある日、
「もう一人でやって」と見捨てられ、
え~むり~!と思いながら課題図書を開いたら、
一人で読めるようになっていました。
母と電子辞書を頼りに書いていた感想文も、
一人で書けるようになっていました。
"何かが舞い降りる"という感覚は、
後にも先にも、このときだけ。
"継続は(知らんうちに)力なり"って感じ。
このときの成功体験は、
今も自分の軸になっていると感じます。
また、何かを諦めたくなるたびに、
10歳の自分に恥じない生き方をしないとなと、
自分を奮い立たせています。
と、
ちょっと真面目になりましたが・・・
音楽が好きになったのは、この辺り。
友達づくりのために現地ラジオを聞きまくり、
日本のオリコンチャートも毎週チェック。
そして、また宣告が来ます。
父「来年、日本に戻るぞぉー!」
第四章:臙脂にまみれた群馬と馬場(~22歳)
帰国後、国立中学校に帰国子女編入し、
早稲田の附属高(田舎)にも帰国子女枠で合格。
そのまま早稲田大学へ、しれっと入学。
莫大な学費を負担してくれた親に感謝しつつ、
英語の教員免許を取得したりもしたけど、
基本は毎日アカペラサークルで遊んで、
7年間で立派なワセジョが完成されました♪
映画やアートが好きになったのは、この辺り。
もっと早稲田松竹に通うべきだったと、
今になって、やや後悔しているけれど、
アカペラに大忙しだったので、しゃーなし。
※最前列どこかにいます。
第五章:どこやねん岡山(~25歳)
社会人一発目、配属は岡山県。
一般教養が著しく欠けている私は、
おきゃやま?四国地方?桃がおいちぃ?状態。
ただ、同じようなテンションの
岡山同期たち(15人と大量)にも恵まれ、
仕事(や恋愛)に悩んだ日々も、なんとか。
旅行が好きになったのは、この辺り。
瀬戸内の島特有の空気感がとても気に入り、
中四国や九州、関西も、よく巡った。
※豊島美術館の横の通り。好きな景色。
第六章:待たせたなTOKYO(~現在)
社会人4年目のタイミングで、東京転勤。
友人たちや家族と再び近くなった上に、
大好きな芸術・旅行にアクセスしやすい東京は、
マジで最高センキューオーザピーポーって感じ。
社会人5年目にはnoteを始めたこともあり、
ライターに転職してみるのも楽しい?とか、
そんなキャリアの選択肢も考えてみたのですが、
旅行好きを拗らせて
旅行予算を月6万とってるOL、とか
在宅介護をしている祖母や、
イカれた妹への愛が尽きないOL、とか
糖質制限を熱く語ってたはずなのに
結局週3ペースで乾杯しちゃってるOL、とか
"一般企業勤めのOL"というベースの肩書きに、
そういう変な修飾語がたくさんついている
自分であり続けるほうが、しっくりきた。
なので、"●●な × OL" の掛け算で、
第七章も展開していきたいと思っています。
以上。
おおざっぱな自己紹介と、
引き続き雑多なnoteであり続けます宣言でした。
サポート代は低糖質チョコの購入に使用させていただきます。