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📖『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。』📖

実質賃金が20ヶ月連続で下落しているというニュースが出ていた。

物の値段はどんどん上がり、生活はどんどん苦しくなる。
無駄を見直し、なるべくお金を使わない生活を追求する。

日本以外でも物価高に苦しむニュースは出ているけれど、それにしたって時給が激安な日本の状況はしばらくは変わりそうもない。
タイの屋台のアルバイトが時給1500円くらいは普通に出ているのに、日本の観光地ど真ん中の飲食店のアルバイトは時給1150円だったりするし、募集要項をよく読むとお昼休憩の1時間は時給には含まれませんと明記されていたり、交通費は全額支給できませんだったり。日本は雇われる側も雇う側もギリギリなんだなということを感じるシーンによく出くわす。

『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。』(左右社)
ライターの和田静香さんが国会議員の小川淳也さんと対談しながら書いた本を読んだ。


タイトルは時給、つまり賃金の話だけれど、内容は多岐にわたる。
お金の話から人口減少の話、就職の状況や移民の問題、環境やエネルギー関連の話まで、あらゆる不安を炙り出しながら対談は進められていく。

改めて思うのは、やっぱり自分の頭で考えなければ、何も始まらないのだということ。
ニュースでこう言っていたから、なんていうのは全く当てにならない。
仮に賃金が上昇して実質賃金もアップして景気は上向きになりましたよ、というニュースが出たとしても、個人個人が自分の財布と冷静に向き合って、「え、私はそんな感じを全く受けません、やっぱり苦しいままじゃないかしらね」と思うのならば、景気が上向きになったという情報に踊らされてはいけないのだ。世間がどうなろうが、個人は個人で守りを固めなければならない。煽られて作り込まれた虚像の世の気分に乗せられて、うっかり無駄遣いなんてしている場合ではないのである。

ニュースは大切だし、きちんと読んでいくことは重要だけれど、それを鵜呑みにして後で困るのは自分だ。
情報は常に何かによってコントロールされているし、本当の状況というのは、やっぱり個人個人で異なるだろう。

「10%オフ」
「今ならお買い得」
「残りわずか」
「なんと半額」

そんな文句が踊っていても、半額だろうがお金は出ていくわけだし、
あまり必要のないものを半額で買うなんて、単なる大きな無駄遣いである。

「お得」というフレーズは、私たちの気を緩ませ財布を開かせる常套句だ。
しかしそもそも買わなければ出費はゼロ円。
お金を使わないことが最もお得なのに、なぜかお金を払った方が得だと思わせるマジックはなんと恐ろしいことだろうか。

もしもそれが、どうしても必要なもので、2倍のお金を払ってでも買わざるを得ないものならば、良いだろう。たまたま目の前でどうしてもの必需品が半額になっていたら「神さまありがとう」とでも思って買ったらいい。
けれどそんな買い方ができる事例というのは、実際あまり多くはないはずだ。

和田静香さんと小川淳也さんのこの本では「脱成長」についても詳しく話されている。
本当は感覚として、多くの人が「私たちはモノを買いすぎている」ことに気がついているのではなかろうか。だからミニマリストの暮らし方や断捨離が流行り、少ないモノでも十分豊かに暮らせるという考えが広まっているような気がする。

もしかしたら、いつまでも豊かになれないのは、多くの人が無駄遣いをしすぎているからという、本来はお金が使われれば社会が豊かになるように思えるのに実は真逆なんですよ、という現象が起こっているからなのではなかろうか。

日本は考え方がどこかの遠い昔で止まったままで、だからなかなか変わることができないし、そうこうしているうちに円安になり、どこにも行けなくなり、貧しさを痛感する結果が今なのかもしれない。

さらには、この本で触れられている移民や技能実習生の話を読んだ時に感じた違和感は、
いつまでも日本の英語教育がままならない原因を含んでいるようにも思えてきた。
技能実習生がその名前のままであろうと、普通の労働者として働けるようになろうと、日本語の教育を行き届けるにはどうしたらいいのかということを問題の一つに挙げている。
最初は私も、そうかそうかと思っていたのだが、じわっとした違和感が拭えなかった。
読み終えて、しばらくした時に、そうかと思い至る。
日本語教育じゃなくて、英語で仕事ができる環境を整えなくてはいけない将来になるのではなかろうか。
仕事先が英語で働けますという求人に、良い外国人人材が集まり、日本語を話せなければ働けませんよという仕事先は低賃金で大変な状況に置かれる労働になるような予感がしたのだ。そんなことを言ったって、雇い主の日本人が英語が話せないから、そんな状況にはならないでしょうと思うかもしれないが、それは違うかもしれない。若い世代で英語が堪能な日本人社長が雇い主になったり、そもそも社員も社長も外国人という企業が増えるのかもしれない。
例えばタイ。ほんの数年前まではカフェでもお店でも英語がほとんど通じなかったそうなのだが、今では屋台のお婆さんたちでも英語で注文を受けてくれる人が増えている。
ちょっと大きなモールに入っている飲食店では英語が絶対に通じるし、よほどの山奥に出かけない限り、タイ語が全く話せなくても英語が話せれば困ることはほぼない。
ローカルな日本人が最近のタイ人たちのように英語を話し始めるのかといえば、そうはいかないようにも思うのだが、日本語しか話せない日本人に取って代わるような人材が日本に入ってくるのではないか、とも思うのだ。それはどこかから帰国した英語が堪能な日本人かもしれないし、日本人ではないかもしれない。

もちろん日本語教師が足りていないというのは問題として残り、日本で働きたい外国人に日本語を教えるための努力は続いていくのだと思うのだが、そもそもの話として全く違う未来が待ち受けているような気もする。

どうなるのか、一寸先は闇のような世の中だし、10年後に自分がどこの国で何をしているのかすら予想もできないのだけれど、常にアンテナを張り巡らせ、自分たちなりの方法で生き残るための手段を模索していかなければならないだろう。

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