見出し画像

ジム・ロジャーズの警告- 日本の未来を憂う #14

ちょっと前の朝日新聞に、”ジム・ロジャーズ、最後の警告「菅政権で日本は衰退。国民は苦しむ」”というタイトルの記事が出ていた。

「菅首相は安倍路線の継承を訴えている。これでは、日本の衰退は必然である。やるべきことはわかっている。大胆に歳出削減をする、移民を積極的に受け入れる。しかし、日本が変わることはないだろう。
残念ながら、このままいけば日本は100年後にはなくなってしまうかもしれない。(略)
であるならば、結論は1つだ。日本の若者よ、日本の外に飛び出しなさい。中国でも韓国でもいい。そのほうがあなたの人生が豊かになるはずだ。」

政治家が説明責任を全く果たさないことが常態となり、政府はマスメディアを萎縮させ、本来は政権の監視役たる役目を果たすべき彼らに忖度ばかりするようにさせた(もちろんマスコミだって悪いんだけど)前政権の時代は、首相が変わってさらに悪化の様相を見せている。民主主義の観点からも最悪だし、経済政策にしても、ロジャーズが言うように抜本的に国が豊かになるような政策が取られるわけでもなく、日本の衰退シナリオは目に見えている。

でも、彼が言うように「若者よ、海外に飛び出せ」という意見に、私が前面的に賛成かというと、そうでもない。だって、みんながみんな飛び出せるわけでないじゃん、と思ってしまうのである。そこで思い出すのは、渡英して一時帰国をするたびにお邪魔していた、神奈川の某高校でのボランティア体験である。

その高校は、いわゆる「底辺高校」とレッテルを貼られている。中退率も高く、卒業後も進学も就職もしない層が一定数いる。家庭に事情を抱えた生徒がものすごく多い。そこの図書室にNPOが入って、週一回「校内居場所カフェ」を開き、生徒とお茶を飲んだりお菓子を食べたりゲームをしたりする中で、NPOのスタッフやボランティアたちと信頼関係を築いていく。普通、問題を抱えた若者が自ら福祉機関や福祉職の人に相談することは中々ないから、貧困や家庭問題等は表面化しないことが多い。しかしこうやって信頼関係を築いてくる中で、生徒が「信頼できる」大人にSOSを発し始めることで、問題が表面化して、ようやく問題解決のプロセスに入ることができる。そして、いろんな変な大人(スタッフも含め)と生徒がまじわることで、文化資本だったり、社会関係資本だったりという、貧困層の生徒にかけているものを、提供できるのだ。そういう意味で、NPOが学校の中に入る意味は大きい。

私がロンドンから、その高校にお邪魔した時は、イギリスのお菓子(ショートブレッド、ポテトチップス、チョコなど)を持って行った。それで、NPOの理事が「イギリスから来たんだよ〜」と生徒を私に紹介してくれたのだけど、「えー、イギリスってどこ〜」とみんな全然ピンときていないのを思い出したのである。

私だって、初めて海外に行ったのは22歳の大学卒業旅行である。3ヶ月くらいのバイト代をフライト・パスポート発行代含む旅行代に注ぎ込んだ。でもそれは私に住む家があって、バイト代を貯めることができたからなせる技。経済的制約がもっとある子はそれすら難しいに違いない。そして、そもそも海外に行きたいと思う文化的環境にあるかどうかという大きな問題がある。この高校の子たちは、外国ルーツの子もいるから、そういう子は別としても、ジム・ロジャーズが言うように、戦略的に日本を脱出しようとか、海外に触れたい、だなんて、それはある程度、文化的・経済的環境が整った子たちができることなのだ。

*****

イギリスで大学院に行って、イギリスの文化に触れてしみじみ思うのだが、日本の教育は結構まずい。日本人の数学力・国語力・基礎的学力は素晴らしいと思うのだが、自分の教育を思い返した時に、何かをクリティカルに考えるということがどういうことなのかを高校までにきちんと教わった記憶がない。「先生が絶対」「教科書に書いてあることが絶対」という暗黙の了解があって、その”絶対”に沿った回答が正解とされる。欧米だと、いろんな面から多角的に物事を捉えて自分の意見を形成していくことは当たり前で、その訓練をするのが教育の場である。私はそういうクリティカルシンキングみたいなものは、日本の大学・大学院で初めて出会ったような気がしてならない。

例えば、小学校の読書感想文とか、先生が褒めてくれそうな優等生じみたものを書いていたような気がする。そこにはなんのクリティカルシンキングも思考もなかった。感想文ってなんの意味があるのか。あと、学校のマスゲームみたいな体育も、その時はそれをやるのが正しいと思ってたけど、今やれと言われたら、全力でやりたくない。

*****

家庭に余裕のある子供はモンテッソーリとか私学が提供する発想力や思考力を鍛えるような教育を受けられたり、海外の教育を受けられたりして、そうじゃない子供は、日本の質の悪い公教育を受けて、ますます格差は広がるだろう。最近は、道徳なんて科目も導入されたとネットでよく見るが、戦前のようなファシスト公教育が展開されているのかと思うと暗澹たる気持ちになる。

*****

そういえば、私の英語の先生キャサリンは、ロシア人の生徒とのディスカッションが非常に難しいと言っていた。自由にものが言えない国で育っているから、プライベートのレッスンですら自分の意見をうまくいえないのだという。クリティカルにものを考えられない教育の中で育ち、さらに今のファシズム的要素が強くなったら、日本の若者はそのロシア人みたいになってしまうのではないか。

写真は、可愛い近所の大学生が、私の誕生日にくれた、V&Aミュージアムのティータオル。イギリス来た最初の年は、ティータオルってお茶飲む時に使うものだと勘違いしていた(実際は、皿拭くタオル)。

ジム・ロジャーズの朝日の記事https://dot.asahi.com/wa/2020093000014.html?page=1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?