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コミュニティー:人の生を支えるもの #16

ロックダウン以後の新しいタスクの1つは、「難民のメンバーに定期的に電話をかける」というものだ。ロックダウンのために、オフィスやガーデンで皆と会えなくなってしまったが、代替として2週間に一度のzoom上のコミュニティギャザリングやその他のオンラインアクティビティはある。そして、難民申請やセラピーや諸々の生活のサポートのための「特定の目的」を持った電話をケースワーカーやセラピストがかけることはあるけれど、スタッフも忙しいから、なかなか雑談ができない。ロックダウン前に週2で皆でご飯を食べていたときは、自然といろんな会話が生まれたし、仮に会話がなくても「ただただそこにみんなでいる」という空間があった。

今はそういう「余白」みたいなものがほとんどない状態だ。それを少しでも埋めるため、私とカミラは、一部のメンバーたちに定期的に電話をかけている。

今日かけたメンバーとは、一年前に2泊のリトリートにも一緒に行き、割と気心知れた仲である。いつも木曜日に電話をかけるのだけど、火曜日にしたくて時間調整をしたら、「今日はバイブルスタディの日だから」と言われて、彼女がロックダウン後も熱心に教会の行事に参加していることを知った。そして、バイブルスタディのことを彼女に聞くなかで、教会がいかに彼女の生活の支えになっているかということがよくわかった。

難民NPOも、よく難民のメンバーに「第2の家族」だと言われる。同じようなトラウマと困難を抱えた他のメンバーに出会って、セラピーやガーデニング等の活動を一緒にしていくうちに、失っていた”生きる希望”を見つけられたと皆言う。でも彼女は言う、「自分を支えるコミュニティは一つじゃ足りない、R(うちの団体)だけでは足りないんだ」と。団体のアクティビティがあるのは週に2回だけだ。ケースワーカーとのアポイント等が他の日に入ったり、なにか講座等があったとしても、家族もいない難民メンバーがその他の時間を一人で過ごす(しかも職がなく、あまりお金もない状況で)には、何か他にもコミュニティが必要だろう。コミュニティがなかったら、弱った心の隙間にいつでも簡単にすぽっと落ちてしまいそうだ。特にオンラインの世界では尚更。

難民でなくても、人には、多層的なコミュニティが必要である。家族と会社だけという人もいるかもしれないが、大体皆なんらかのコミュニティを複数持っている。関係性の濃淡は色々あり、それぞれでの自分のポジションとか見せる顔も違うかもしれない。そうやって多様なコミュニティの中で紡がれる、人と人の網目みたいなものが、人が生きる上でのセーフティーネットになっているんじゃないかと、今日改めて思った。


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