出会いを求め続けたあの頃
肉体を満たせても心を満たすことは出来ない。
若かりし頃のわたしは、月に一回は友達と一緒に地元の某ナンパスポットでナンパ待ちをしたり、お酒を飲めないのに一人BARに繰り出したり、合コンや街コンなど、ありとあらゆる出会いの場に果敢にチャレンジをしていました。
合コンは自分でセッティングをするよりは、友達がセッティングをしてくれたものに参加をすることが多くありました。
印象に残っているのは、男女3対3の合コンで男の子は職場仲間、こちらは友達同士という状況で、
男の子がずっと職場の話で盛り上がっていた事でした。
あー、タイプじゃなかったんだなって。
その時は酷く落ち込みました。
他には、男の人が3人、女の子が5人位の場で、一番奢ってくれそうな人をおだてて奢って貰えるように空間を演出するような雰囲気を出されたことがありました。
なぜそんなことをする必要があるのか分からずに、周りの雰囲気に合わせて愛想笑いをしていました。
別の飲み会では、男の子のパツパツの服装を指摘して、「お前も大概だぞ」と釘を刺された事もありました。
そんな飲み会で自分から連絡先を聞く勇気も無くて、いつも楽しい飲み会で終わっていました。
振り返れば、空気の読めない女だったと思います。
ここで言う、空気が読めないというのは、その場の雰囲気を作った要因を自分が作っていると気が付いていないことです。
当時のわたしは当然のようにメガネをかけ、
メイクは高校の友達に習ったものから改良することも無く、服装も基本はパンツスタイルでした。
友達とお出かけする服装と、出会いの場での服装も髪型も変えることはしませんでした。
つまりは、異性からどう見られるか、
どう振る舞えば興味を持ってもらえるか、なんて小指の端にも思ってなかったんです。
実はこれには理由があって、わたしはとても親から愛されて育ちました。
母は年がら年中、可愛い可愛いとわたしを抱きしめ、鬱陶しいと言いながら、その愛情、言葉を、そっくりそのまま素直に受け取っていました。
ありのままの自分が可愛いのだと本気で思っていました。
親の愛情には今でも感謝していますし、そりゃ親から見れば可愛い面も、他人が同じ評価になることは難しいもの。
親からの言葉、他人との評価の差に頭を抱えながら、この頃はずっと同じことを繰り返していました。
人生全般に言えることですが、"改善"をしなければ同じことを繰り返して前に進めない。
だからこそ、客観的意見を求めること、また改善出来る人に求めることが大切なんですね。
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