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秋篠宮家 悠仁くん、逃げちゃダメだ。

人の上に立つ者の資質として「逃げない」というのは大事なことだ

沈没する船の船長が最後まで残るように
王族、皇族というものはそうあってほしいな、と思う

もちろんそんなことになったら自分は敬宮愛子さまは身体を張ってでも逃したいなって思ってるけど。

物語で年老いたばあやが姫や王女を庇って命を落とすシーン、若い頃はピンとこなかったが敬宮さまの成年会見以降、すごく理解できる。

もう気持ちはばあやなのよ、ばあや。

さて

敬宮愛子さまが慕われる要因のひとつとして「苦手なものから逃げないで努力する」という性格が挙げられると個人的に思ってる。

代表的なエピソードは学習院の遠泳だろう。沼津の臨海学校で開催されるこのイベントは自由参加だそうだが上皇や今上陛下だけでなく、あの快楽主義者でぐずぐずの秋篠宮文仁君でさえ赤褌姿を公開している。

今上陛下、凛々しい🙏✨
オメーってやつは、、、


敬宮愛子さまも水泳は苦手と言いながら、足のつかない海で同級生と寝泊まりをしながら練習を重ね、初等科6年生では500メートル、中等科2年の頃には3キロという距離を達成された。

その経験は初等科の卒業文集にも掲載されて広く報道されたのでご覧になった方もいるだろう

「大きな力を与えてくれた沼津の海」

 不安な気持ちを抱きつつも、きっと楽しい思い出が作れると言われて出かけた沼津でしたが、初日から練習は厳しく、海に入りたくないと思う時も少なくありませんでした。ただ楽しかったのは、友達との生活と食事、お風呂でした。

 しかし、足の着かない海で泳いで、初めて気持ち良いと感じる日が来ました。三日目に行ったプレ距離泳の時でした。プレの日は、波もなく、太陽が照りつける中での距離泳となりました。海に入るまでは、五百メートルも泳げる訳がないと諦めていましたが、泳いでいるうちに、体の力が抜け、楽しく泳げるようになりました。五百メートルを泳ぎ切ると、海が好きになり、海に入るのが楽しみになっていました。

 迎えた本番の五日目は、潮の流れが少しあり、泳ぎにくいと感じましたが、前日に一キロ泳や二キロ泳を終えた人たちの『頑張れー』という応援の声が聞こえる度に、不思議と力が湧いてきました。無事に泳ぎ切り、みんなと喜びながら頂いた氷砂糖の甘い味は格別でした。

 沼津での生活は、私に諦めないことの大切さを教えてくれ、大きな自信を与えてくれました。沼津の海は、私にとって忘れられない記念の海。六年間の中で、私がいちばん成長できたと感じられる素晴らしい思い出になっています」

学習院初等科卒業文集より

水泳が苦手といいながらも逃げずに克服する努力を感じる文章だ。

強がったり背伸びすることもなく不安も正直に語り、そして経験したもの全てを糧とするそんな敬宮さまの性格も伺える。

愛子さまが水泳の授業を休んだだの不登校だのガセ巻いた週刊誌ども恥を知れ!

東宮バッシングといえば最近、デヴィ夫人が週刊文春に対して刑事告訴だ!と息巻いているがあんたさんも浩宮さま雅子さま敬宮さまにひどい事言うてましたな、というのを思い出してしまったので、これもちょい書いてみるが今のところデヴィは置いておいて悠仁くんの話に戻そう。

卒業文集といえば高校の卒業時に「成長?アタイ童顔なんでテヘ」って書いた秋篠宮家 眞子さんていたな、年齢差6歳か、と少しため息が出るが、今は悠仁くんの話だ。

字も汚いが内容も幼い


秋篠宮家 悠仁くんが学習院を避けた理由のひとつとして、この遠泳を避けるためではないかと言われている。

苦手というだけでは説明しきれない、褌姿を公開できない身体上の理由があるのではないか?と勘繰ってしまうほど秘密主義だ。

悠仁さまから突然報道陣に配られた罰則付き報道規制、そして小笠原剽窃作文の「ご指摘に感謝」。

何かあったとしても真正面から向かわずシャットアウトしてしまう、こんな行動が「悠仁さまが逃げている」と思わせてしまう部分だ。

敬宮愛子さまは下駄箱に顔を突っ込まれるようなひどいいじめがあっても逃げなかった印象がある。この時のお休みは5日ほどだったが不登校だ!などとガセ記事を書いたのはアエラだ。

「不登校」の定義は30日以上。
日数だけでもアエラが敬宮愛子さまに関して嘘を書いた事は明白である。

敬宮さまは激痩せした時ですら堂々とにこやかに背筋をまっすぐ伸ばした姿を我々の前に見せてくれた。

成長するにつれ、誓いの言葉じゃないが病める時も健やかなる時も、国民の前に堂々と姿を見せ優しく微笑む姿はもはや王者の風格だ。

なのに、悠仁さまはお小さい時から顔もほとんど出さない。
皇族として必要な書道すら開示しない。

姿も文字も出ない、友達の影も見えないような猫背の通学姿が数枚。

なのに「女性とから熱視線!」「後輩にバドミントン指導を」「文化祭で駆け出して」なんて、ラノベの陽キャのような文武両道モテモテエピソードだけが一人歩きしている。秋篠宮が大好きな竹内久美子さんなんざ「悠仁さまは細マッチョ!」などと身悶えしてて「見たの?50歳年下の男子の裸妄想してんの?大丈夫?」と怖くなる。

そんな悠仁さま文武両道モテモテナレーションの実態が怪しいというのに、何故か登場したのが悠仁さまがトップオーサーとして発表したトンボ論文だ。この蜻蛉論文、悠仁さまの名前がトップオーサーとして記載されているにも関わらず、学会での発表は他人に譲ってしまっている。

こういうとこだよ「あ、悠仁くん逃げたな」と思わせてしまうのは。

沖縄への修学旅行前日だったとはいえ、ここは発表すべきではなかったか。

論文を評価に加味して東大に行くの行かないのはマスコミも含めた憶測だからどうでもいいが、このトンボ論文、どうも読めば読むほどおかしい。

個人的には6歳で2012年に発売されたカメラで飛翔する小さなトンボを撮影するのは無理だなというのが第一印象だ。あれが2017年くらいからなら騙された可能性はあるが、6歳から「トンボ発見!何月何日ここで産卵してました!」などと記録するのは無理だろう?だって字が書けないんだもん。

さらには論文に添えられた写真も雌雄を間違えるだけでなくあちこち切り貼りした後どころかトンボの標本をピンと糸で草にくくりつけたのではという疑惑も出てきた。昨日などは「7月に撮影されたにしては稲の生育がおかしい」という指摘までされている。

ここまで多くの人から疑問点が生じているトンボ論文、トップオーサーとして悠仁さまには説明の義務がある、というのは昨日も書いたが、悠仁さまは逃げてんの?と思わせるほど気配がない。

でも、ここで逃げると彼には本当に未来がなくなると思う。

いまならばまだギリギリ「紀子さまに皇位簒奪のコマとして育てられた哀れな悠仁親王」という体で同情を集めることも可能なのに。
トンボ論文だって「宮内庁職員が勝手に気を利かせた」という言い訳が成立したはずなのに。トップオーサーも忖度でという言い訳ができたよ。

そうなったら天皇にはなれないかもしれないけれど、衣食住困らず赤坂でトンボ追いかける自由は残されている。

DNA検査されたらまた違うかもしれないが。

未成年になんてことを!などと言うけれど、トップオーサーになった時点で大人のルールが適用される。ここで未成年だからコピペオッケーねなんて言い訳が成立するわけがないんだよ

今までの経緯を逃げないできちんと説明して、ことと次第によっちゃ謝ったほうがいい。ここが最後のチャンスだと思う。

ここで逃げたら天皇としても皇族としても一般人としても誰一人同情する人も心を寄せる人も現れない。

神社本庁か学会かツルコが中抜きチューチューの軽い神輿としては扱ってくれるけど、そんな人生つまんねぇぞ。

だから今回ばかりは謝ることから逃げちゃダメだ、悠仁さま。

腹を括ってぶちまけてみたらこんな楽しい未来だって待ってるかもしれないんだよ!とエールがてら作ってみたわバドミントン悠仁くん。

悪用はしないでね!

バドミントンで激しいラリーというならこれぐらいは出してほしかったわ宮内庁

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