自己紹介とnoteを始めた理由①

生い立ちを書き始めてから、読者の方からアドバイスをいただいたので、ここで”自己紹介”と”noteを始めた理由”を加えたいと思います。

わたしは中高と女子校で過ごしたあと一年浪人をして短大に進学。料理関係に進もうか航空会社に就職しようか迷った末、海外ベースの航空会社に就職した。働きながら現地で知り合った日本人と一度目の結婚をした。

趣味も合うし明るくて楽しい人だった。女性関係が派手で性格的にも勝手なところもあったけれど、長年付き合った延長のような形で入籍。
残念ながら結婚生活は初めから上手くいっていなかった。結婚を境に、交際中は一度もなかった身体への暴力が始まった。一度キレたら物を投げ、暴言を吐いて手を挙げる。その度合いが次第に増していき、わたしは限界を感じて離婚を決意した。(この時は子供は無し)
初めての離婚(あまり複数回する人はいないけれど)そこには私たちの結婚を祝福してくれた人たちへの罪悪感と将来への不安。わたしはまるで"バツイチ"と書かれたTシャツをずっと着ているような、そんな感覚があった。

その数年後に付き合い始めた男性とは、子供を授かったことをキッカケに再婚。穏やかな人だった。わたしの離婚歴も彼も家族も受け入れてくれた。その後海外駐在が決まり現地で二人目を出産。平凡な幸せな日々が続いていたが、駐在後半になってわたしの浮気から夫婦の間に亀裂が入り、子供たちの幼少期の心に傷を付けた。そして帰国も決まり、家族の立て直しを考えてくれた優しい夫だったけれど、最終的にわたしの気持ちが戻らずに別居を経て離婚した。この時期には子どもたちの精神状態をかなり不安定にさせたと思っている。(今現在、子供たちは実父とも交流があるし、時々わたしも加わらせてもらっている。彼の両親とも変わらず親しくしている)

その後わたしは離婚歴のある男性と再々婚、子供二人を連れての再々婚。
彼は親との確執があった。わたしは彼の話にとても共鳴していた。
子供たちが多感な時期(小学生&中学生)に何年か四人で暮らした。最終的には離婚に至ってしまったけれど、彼も努力してくれたと思うし子供たちが努力してくれたことも間違えない。初のステップファミリーの経験だった。
振り返ると、たしかに子連れ再婚は容易いことではないと思う。
別々に暮らしてきた人間が一つ屋根の下で暮らすことは、自分の家が家でないようなそんなストレス。特に多感な時期の子供にとっては実の親との関係でも難しいのだから当然とも言える。
そしてわたしは事ある毎に原宿カウンセリングセンター(当時は信田さえ子先生が所長)に通い、四人のバランスをどう立てていったら良いのか相談をしていた。自分の力だけでは乗り越えられなかった。
結果的に三度目の離婚をしたわけだけれど、今も彼とは友人として話せる仲になっている。


三度目の離婚をしてから、わたしは親子関係に関する学びをしてみたいと思い始めた。自分が離婚をくり返していることも理由の一つであったが、同時に、三度目の夫とその母親との確執をを探りたかったことも大きい理由だった。

知人の紹介で小児精神科医の高橋和己先生の本を読み、高橋先生の主催するHCMカウンセリングセミナーの受講を始めた。

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