ルノカ

なぜわたしは離婚を3度も繰り返したのか

ルノカ

なぜわたしは離婚を3度も繰り返したのか

最近の記事

自己紹介とnoteを始めた理由①

生い立ちを書き始めてから、読者の方からアドバイスをいただいたので、ここで”自己紹介”と”noteを始めた理由”を加えたいと思います。 わたしは中高と女子校で過ごしたあと一年浪人をして短大に進学。料理関係に進もうか航空会社に就職しようか迷った末、海外ベースの航空会社に就職した。働きながら現地で知り合った日本人と一度目の結婚をした。 趣味も合うし明るくて楽しい人だった。女性関係が派手で性格的にも勝手なところもあったけれど、長年付き合った延長のような形で入籍。 残念ながら結婚生

    • 生い立ち⑤

      小学校四年のころだったと思う。 女子だけを集めて、生理についての説明を受ける授業があった。初めて知った内容ではなかったけれど、クラスの女子たちはそれをすでに母親から聞いていて、その日に備えての心づもりがあると言っていた。そうか、お母さんからそんな話をされるものなんだ、と私は思った。わたしがまだ話をされていないだけなのかもしれない。 自分の初潮はとても遅かった。でもその日が来るまでその話題はわたしからも母からも、することもされることもはなかった。 どうやって報告したらよいのか

      • 生い立ち④

        週一回のピアノのレッスンの直前になると、先生に叱られないように付け焼刃な練習をするのがお決まりだった。嫌々ながらピアノを開いて鍵盤を押す。 「音がこわいー音がこわいよー」 家の中の柱を、上の弟がぐるぐると回りながら叫んだ。 わたしはピアノを弾き続けたが、弟が叫び声がやまないので弾くのをやめた。 家族で近所のお祭りに行った夏、盆踊りの太鼓の音で同じことが起こった。 音がこわい、音がこわい。耳を押さえながら走り回る弟。 いとこが我が家に泊まりに来ると必ず、ルノちゃんの家の毛布は

        • 生い立ち③

          「子供たちの歯を磨いたことなんて一回もなかったわ」年老いた母が発したその言葉に、わたしは全く耳を疑わない。 ”だろうね” そんな気持ち。 思い起こせば、朝起きて口の中に飴が入ったままのことも茶飯事だった。 昔の写真を見ると、私と上の弟の笑顔の口元は味噌っ歯(今や死語?)だ。 そんな味噌っ歯だったわたしは、痛みの限界になると四ツ谷駅の小児専門の高級そうな歯科医院に連れていかれる。 身体を押さえつけられて治療をされる。 歯磨きの習慣を自分で会得できる前にわたしの歯はすでにひどい

        自己紹介とnoteを始めた理由①

          生い立ち②

          幼稚園の友達の家に遊びに行くと、友達のお母さんが雑誌の付録作りで遊んでくれたりゲームをしてくれたりそんな時間が楽しかった。 母が子供目線になって一緒に遊んでくれるという環境は、わたしの家には無かった。 家の中は常に散らかっていた。台所、洗濯場、居間、全て。 けれど不思議なことに、私の衣服には驚くほどきれいなアイロン掛けがしてあった。そして持ち物にはおしゃれな手製の刺繡が施されていた。 一見すると、いいとこのお嬢さんに見える感じに。 家の中がめちゃくちゃに散らかっていても、対

          生い立ち②

          生い立ち①

          わたしは1970年東京に生まれた。 その時父は25歳母は23歳。 二人は同じ大学に在学し、 卒業間際に母はわたしを身籠ったらしい。 第一子の女の子としてわたしは生まれた。 母はその二年後に男の子を、そのまた一年後にも男の子を出産。祖母からはわたしの前にも一度、 末の弟の後にも一度、母は妊娠したことがあると聞いた。五回もの妊娠。 それは若さだけが理由だろうか? わたし達三人姉弟は都心の一軒家で暮らしていた。隣には祖父母の家と祖父の経営する工場があった。従業員の人たちもいた。覚

          生い立ち①