生い立ち④

週一回のピアノのレッスンの直前になると、先生に叱られないように付け焼刃な練習をするのがお決まりだった。嫌々ながらピアノを開いて鍵盤を押す。
「音がこわいー音がこわいよー」
家の中の柱を、上の弟がぐるぐると回りながら叫んだ。
わたしはピアノを弾き続けたが、弟が叫び声がやまないので弾くのをやめた。
家族で近所のお祭りに行った夏、盆踊りの太鼓の音で同じことが起こった。
音がこわい、音がこわい。耳を押さえながら走り回る弟。

いとこが我が家に泊まりに来ると必ず、ルノちゃんの家の毛布は汚いから使いたくないと言われていた。その理由は、弟には寝ている間に毛布の毛をむしりながら丸めて鼻につける習慣があったから。
左手でおしゃぶりをしながら右手で毛布の毛を丸める。
そんな我が家の毛布は全ての毛が無くなっていた。羊の散髪あとのような状態を想像してもらえたら分かりやすいかな。弟にとっての安心感がそこにはあったのだろうと思う。

両親は弟を小児神経科に連れて行った。そしてその後何年も投薬が続いた。

今では成人して会社経営をしている弟だけれど、
わたしはこの時の弟の状況を彼に異常があったとは思っていない。
生まれてから母親からの安心感の得られなかったことで、繊細だった弟が大きく反応を示したのだろうと思っている。

じゃあ安心感って何なのか、というとそれは、
子の気持ち=自分の気持ち、となる母の存在。

お腹が空いたときも、寒いときも、寂しいときも、具合の悪いときも良いときも、
どんなときでも
母親が子供の気持ちを自分の気持ちと一致して感じられるなら、子は安心感を得られるのだと思う。

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