見出し画像

修行とは目の前のことに集中すること

基本的に人生は面白おかしくあってほしいと願うごきげんママ♡ではありますが、根っこのどこかにマジメな要素があるらしく、学ぶことをやめたら人生おしまいという気がかすかにしています。

学ぶこととは当然小学生から机に向かって読み書きそろばんをしてきたことに留まりません。それがほんの、ほんの一部でしかなかったということはオトナの皆さんなら実感されていることと思います。

この一年も幸にして学ぶことばかりでした。毎日何かしらの学びがあったことはnoteを振り返っても知ることができます。noteを書けなかった日ももがき苦しんだり思い詰めたり遊び呆けたりしながら何かを得てきたように思います。生きてる証拠が確かにある感じです。

年末になってかつてお世話になった人のことを思い出しています。父が東京で下宿していた頃からのお付き合いなので昭和30年頃…私はまだこの世に影も形もありませんでした。

その方の法要が営まれる禅寺がわたしにはとんでもなくパワースポットで、心身がキリッと張り、洗い清められるのです。コロナ前には座禅会もあったそうでいつか行ってみたいと考えています。

法話では、修行とは食べること寝ることお参りをすること、ただ目の前のことだけに集中することと説いておられました。そのことの清々しさを思うと今の私の生活でもすぐに実行できるように思えてきます。それこそが悩みから解き放たれる唯一最善の方法ではないかと。

断捨離がすっかり世の中に定着しましたが禅の世界はその最たる物。余計なものを削ぎ落として本当に大切なことだけに心を使うことが心を落ち着かせることに繋がるのでしょうね。

もうすぐ大晦日です。日本人なら除夜の鐘には格別な気持ちを抱く人も多いと思います。クリスマスの賑わいから一転、静かで安らぐひととき。掃除でもお料理でも今やっていることだけに集中すると邪念につけ込まれる隙がありません。例えばピアノの練習ならその音に、ゴルフならその一打に集中すること。

生きていると邪念が起こります。もっとお金持ちになりたい、もっと綺麗になりたい、あの人の方がなんで人気があるのかしら、自分だけどうしてこんな目に合わないといけないの?などなどの思いは私にはとても身近なもの。病気や怪我も然り。老いももちろん愉快なものではありません。

父が遺してくれた交友からまた今日も学ぶことがありました。目の前のこと以外考えないことをしばらく心がけてみようと思います。

こちらは穏やかな年末です。皆様もどうぞ今日も良い一日を!


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?