見出し画像

今私は次の扉の前に立っている気がする

本屋さんや図書館やブックオフに行かなくても家にはたくさん読みたい本があるとわかっていた。昨夜は寝る前に読む本を探して久しぶりに本棚の前に立つと一冊の本と目が合った。

それは五木寛之さんの『百寺巡礼』の第一巻、奈良編。

来週、久しぶりに里帰りを予定していて奈良でどのように過ごそうかと頭の隅で考えていたのと点と点が線でつながった瞬間かもしれない。いつか読みたいと棚に置いていたがページをめくることも初めてで、まえがきから今の自分の立っている場所にあまりにふさわしいことが書かれていてそれはうなるほどだった。

インドの人生を四つに分ける考え方が紹介されていて、学生期・家住期・林住期・遊行期と分けられるそうだ。それはどこかで聞いたことがあったけれど今私が林住期という人生のもっとも充実した季節を生きていることを知る。

たまたま昨日は婚活中の娘が遊びに来て、

「親というのは言うまでもないことを言ってしまう習性があって悪いんだけど、言っておくね。この人なら幸せにしてくれそうと思える人を探すのではなく、この人となら苦労してもいいと思える人が現れるまで待ってね」

ということを伝えることができた。娘も珍しく冷静に受け入れてくれたように見えた。

その前に結婚した上の娘からはここしばらく連絡がない。ということは元気で何とかやっているということだろう。離れて住んでいても心が通じ合っていると信じられることは育ててきた年月がなせる業かと思うと心が満たされる。ごきげんパパ♡は少し寂しそうにしているけれども私にはわかっている、娘が自分の人生を精いっぱい生きていることが。

緊急事態宣言明けをいいことに夜更けに帰ってきた下の娘はアルバイトの時給がポンと上がったと得意満面。本人の努力が認められたことを私まで誇らしくなり、この子の生きていく力が間違いなくついてきてることを心から嬉しく思う。もうこの子のことも心配ないだろうと思う安堵。

今子育て中の人たちに伝えたい。いつかはみんな親から離れていくから今を大切にしてほしいということ。今仕事を頑張っている人に伝えたい。自分が信じてやっていることはあなたを裏切らないということ。

私の仕事はほぼ家事と育児で終始した。手が空いたらパートもしたし友人と交流もしたけれども五木寛之さんが家住期と言われる時期は本当に家に住んでいた。その扉は静かに閉まろうとしていて次の扉へと進んでいく自分を実感する。

生活に追われていたころには何かを味わうことなど贅沢で、目の前のことをこなすこと、やっつけることが毎日だったけど子どもを手放すことで代わりに手に入れたこの自由を心から味わえる時が来た。

音楽もよし旅もよしそしてお寺巡りもありかもしれない。足腰の元気なうちに見ておきたい景色もいくつかある。読みたい本だってキリがないほど。さあどれから始めようか。その取捨選択がまた楽しい。穏やかに力が湧いてくるのを感じる。

今日はこちらはまたとない秋晴れの空です。この一週間も元気で過ごせますように。

画像1

<庭に咲いた秋の薔薇>

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?