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読み書きが一部の知識人しかできない未来になりませんように

江戸時代の庶民も6歳くらいには寺子屋に通って読み書きそろばんを習っていたようだ。日本人の識字率は世界でも類を見ないほど高いと言われている。これは教育制度が整っていることの証左に違いない。

長い人類の歴史史上経験したことのないテクノロジーの発達がそれをどう変えていくのか、細々と国語を教えている身でもありとても興味がある。

まずそろばんというものを真っ先に手放して計算機を使うようになった。ごく少数のそろばん教室に行く人を除けば今や使いこなせる人はそう多くないと思われる。

読み書きの書きはどうか。シャーペンは禁止、鉛筆削り必須だった私の小学生の頃とどう変わったか。iPadが全校生徒に配られて欧米に置いていかれないようパソコンの授業も始まった。

今や書き順や画数の問題にどれほどの意味を見出せば良いのか。漢字検定では必出だし、書道で間違えた書き順は認められないだろうけどローマ字入力して文書作成するのにへんもつくりもあったもんじゃない。紙の辞書も時代遅れ。

アルファベットは26字なのに対して日本語はひらがなだけで50もあり、カタカナ然り漢字は数千?それらの習得に費やす時間はどれほどあることやら。

この10年くらいで私たちはスマホを手にして映像と音声で情報をたやすく鮮明に受け取ることができるようになった。生まれた時からYouTubeなどネット環境の中で育つ子どもたちは果たして文字に興味を持ってくれるのか?白黒で面白くもないのに。

昭和の頃も言われてました、テレビばっかり見てるとバカになるよって。時間を決めてみなさいって。それが今はネット。脳にどれほどの刺激を与え続けているのだろう。

人間はテクノロジーから離れるために運動も大切、自然と触れ合うことも重要。じゃあいつ本を読んだり字を書いたりしますか?書けなくても読めはするのか。

学校教育も難しい転換点に来ているかもしれない。情報や知識を得るためだけなら家でネットを見ていれば足りる。娯楽もネットに持って行かれた。子どもたちをどのようにして本の世界に誘えばよいのか。映像を通して得られる強い快感に地味な活字がどう太刀打ちできるのか。

人が開発したテクノロジーによって人が退化していくのを止められないのではないかと幼い子どもと接して感じずにはいられない。

少子化ばかりが問題ではなくて、これから人がどこへ向かっていくんだろうと散々YouTubeを楽しみながら考える。


今、赤ちゃんや幼い子を育てている人たちはさぞご苦労されていると思う。平成に生まれた我が子たちが子ども番組「おかあさんといっしょ」などをみているうちに大急ぎでご飯の準備などしていたからお察しします。

ChatGPTというアプリでは人間顔負けの行き届いた文書作成をロボット?コンピュータ?AI?がしてくれるらしい。昭和生まれの私など遠い目になりそうだ。楽な方へ楽な方へ流されていくことが良いことなのか悪いことなのかももはやわからない。ただ私は本を読むのが好きだし、本がずっと愛され続けることを望んでいる。

今日はまた冬日のようです。良い一日になりますように。

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