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世界は元に戻らない!?

インスタグラムの投稿の続き、、

今日はマリー六本木の外のガーデンテーブルで書き上げてます、

夕方になると風向きで近くにコインランドリーがあるのですが、

ダウニーの良い香りがしてくるんですよね^^

洗い立ての洗濯物の香りはいいですよね。


さて、インスタからのnote

こちらの方が、文章書きやすいので楽ですね

インスタの内容を読んで下さった、仮定して書いていきますね

インスタグラムの最後でコロナの話を書きました。

感染予防は世に溢れてますが、最近はニュースを見ても

感染者への差別迫害が取り上げられたり、アフターコロナ

これは僕も含め今生きてる人ほとんどの人に関係する

立ち戻りと言う点です。

まず、100%ビフォーコロナの世界は戻ってこないでしょう。

コロナ前は景気が良い世界もコロナあとは世の中の流れで

上手く変えればどうにかなる仕事と変えてもそれ自体に再起が難しい

再起の芽があっても体力が持たない。

そう言う意味でのストレス、メンタルの部分が特に重要視されると思います。

心身一体。体が元気でも心が元気でないと生きてくのが辛いですからね。


現代社会の中には人間が何千年もかけて作った秩序があります。

その秩序からはみ出た人を個性と捉えてくれる基礎文化のある国や

同じ国でもその個性の種類でも個性と捉えてくれない文化がありますね。

丁度、天皇の料理番のドラマを見てるのですが、フランスでは

日本が明治時代の時からシェフで組合員に入ったシェフは

手厚くもてなされる。怪我をすれば医者が毎日包帯を取りに変えに来てくれたり

シェフを引退してもお金が貰えたりするそうだ。アメリカのメジャーリーグも年金とかそういうのがありますね。

日本はこの間フェンシングの銀メダリストがウーバーイーツのバイトをしてました。かなり夢の無い現実ですよね。日本はこう言うことがあると、プロスポーツ選手になろうと頑張る人が少なくなってしまいます。

ヨーロッパの話に戻ります。

しかしフランス、特にイギリスは人種差別が今でも酷い、この明治の時なんて

凄かったと思う。あとで、wikiで調べてみたら、天皇の料理番になる前フランスに

修行に行く秋山シェフは日本から飛行機なんて便利なものがないから

ロシアのウラジオストクからシベリア鉄道でロシア、ドイツを経由してパリに

その時、ドイツでも差別を受けたけど、駐在で住んでた日本人にガタイの大きな

白人と立ち向かう喧嘩の仕方を教えてもらい、撃退法100%だったそう。

男性の股間を蹴り上げるそうです。

そこからまたパリで差別。差別のシーンを見てると懐かしいですね。

僕もイタリアでアジア人差別受けましたもん。パニーニの列に並んでるだけで

アジア人がパニーニの味わからないくせに食べるな、、と後ろから蹴られたことありますしね。2003年の話です。

今でもあると思いますよ。

友人はフランスのゲランと言う化粧品のパリのお店で働いてた時に

白人のマダムに、ファンデーションを説明する前に、手についてるファンデーションまず、落としてくれないかしら?、、、と言われ、悲しかったそうです。

負けられないと、頑張って今偉くなりましたね。

そんな中で戦うので、こう言う状況はケ・セラ・セラなのかもしれないですね。

でもそんな強い人ばかりではないですからね。

日本は、個性というよりも、「整列」「前にならえ」規律文化の中で

39歳の僕が小学生の時は1つ前の世代まで公立中学でも男は坊主、女性は肩までしか伸ばしてはいけない謎の決まりがあった。

だから、集団からはみ出た子達が「いじめ」という目に遭ってそれが

大人になっても名残で残っている。

集団を作る人間は、基本1人では怖いので心的弱者だと思います。

1人で居れる子の方が見かけは圧がかかってても、実は強いメンタルの持ち主だったりします。

「ヴィルスは人を選ばない」

ならば、今社会全体でこういうコロナとの取り組みを通して社会が買われる時

じゃないかなと思います。


人間が動物である限り、動物学的な行動は道徳の範囲内なら抑制する必要は無いんです。

特に、「争い」の面においては悪い意味が多いですが

時には必要な部分もあります。そう言う時は「争い」と言う言葉を使わずに

競う、「競争」と言う言葉を使います。

ファッションもそんな競争の中で生まれた人間の文化文明だと思います。

個性を出したいものは競争の中には一見入らないかもしれませんが

対象物がないと、人との違いを見せれないからある意味これも競争の一環だと

僕は思います。

良い時計、いい靴、ドレスコード、社交クラブなど

人は一定の尊厳と価値を作る事を好みます。

ヨーロッパは身分があったので、その上流貴族の中でお洒落をすると言う

ことが必要になった。お目当の殿方をものにするのに、コルセットはどんどん

装飾品をつけ凝ったものが、自分の価値になったから。


それが、フランス革命後にファッションが一般化するようになり

1950年にミラノコレクションなどが始まってくるのですが

人が流行りものを身に纏うことで、秀でた個性を見せるようになった。


ここで、ファッションの矢印とランジェリーの矢印の方向が離れてくるんですが

ランジェリーはドレスの下に潜ります。

要するに、ファッション次第という不可抗力が生まれ

不安定になることで、ランジェリーは別の意味を帯びてきます。

それは恋愛です。

男と女。

ランジェリーは昔のフランスでお洒落なものを見に纏う女性は

娼婦くらいでした。

そう、ランジェリーって娼婦の着るものだったのです。

それがどんどん、男女の恋愛が増えることで

ランジェリーが恋の道具になりました。

今日本でランジェリーが段々とお店もなくなり

現実的なユニクロなどまた昨日だったり自分の個性を強めるもの

コンプレックスを消すものとしての道具になってきました。

とはいえ、それは恋愛するまでの準備だとしたら

いざ恋をした時に、何を纏えば良いのでしょう?


ナイトブラのまま彼と寝ますか?

ユニクロのカジュアルインナーでデートに出ますか?


語弊があるかもしれないですが、いいランジェリーを着てる

女性はある意味無敵だと思います。


さっきの競争の原理もそうですし、自分の価値を示すために

纏ってるからです。良いものを身に纏うことは女性にとって

現代でも凄く大事なことで、

僕としては、もう少しそこに恋愛の競争力があれば良いなと思います。


今フリーの人が凄く多いですから。

こういう状況だからこそ、本当に1人でいいのか?

考え始める女性も多いと聞きました。

コロナを乗り越えて、新しい社会が出来るなら

自身もどんどん変わるチャンスにして欲しいと

楽観的かもしれませんが、そう思います。


僕自身もそうですし、人に言えるほど立派なものでも

無いですが。

少し思った事を書き綴らせて貰いました。


それでは。

写真は、PARAH、僕の居るマリーが日本で展開してるイタリアのブランドです。

PARAHは何がこの時すごいかというと、アブダビとドバイにランジェリーのお店を作りました。

これが普通と違うのはわかりますか?

イスラム圏内で、女性は肌を見せることに凄く厳しい世界。そんな世界でランジェリーのブティックを作らせてもらえたブランドって

凄くイノベーティブで認められてないと出来ないことだと思います。

ある意味凄く大きな1歩、そんなPARAHが日本で展開させてもらえることは

僕には財産で誇りなんですね^^


JUN


サポート有難うございます、専門クリエイターとしてnoteから書籍化に向けて頑張って行きたいと思います。